高島平観光案内

高島平周辺の文化財

高島平周辺にある、板橋区登録、指定文化財を紹介します

高島平周辺地図

文化財名称
所在地
種別
 旧田中家住宅  郷土資料館 赤塚5−35−25
建造物
 大堂銅鐘
工芸品
 縁切榎茶屋風景図絵馬
歴史資料
 根ノ上遺跡出土弥生式土器
考古資料
 成増との山遺跡出土石器類一括
考古資料
 西台遺跡出土土器
考古資料
 大門遺跡出土品
考古資料
 冨士永田講関係祭具一括
信仰資料
 脇本陣豊田家資料一括
歴史資料
 安井家文書
古文書
 須田家文書
古文書
 飯田家資料  郷土資料館 赤塚5−35−25
歴史資料
     
 天保飢饉の供養塔  乗蓮寺 赤塚5−28−3
歴史資料
 板橋信濃守忠康墓
歴史資料
 乗蓮寺文書
古文書
 千葉一族の墓  松月院 赤塚8−4−9
史跡
 ヒイラギ
天然記念物
 徳川将軍朱印状
歴史資料
 赤塚村役場跡      赤塚8−3
史跡
 大堂(阿弥陀堂)  大堂 赤塚6−40−7
建造物
 大堂阿弥陀如来坐像
彫刻
 大堂閻魔王坐像
彫刻
 十一面観音立像  泉福寺 赤塚6−39−7
彫刻
 年不詳名号板碑  増福寺 赤塚7−14−5
考古資料
 こぶケヤキ  諏訪神社 赤塚8−5
天然記念物
 夫婦イチョウ  諏訪神社 大門11−1
天然記念物
 氷川神社参道並木  氷川神社 赤塚4−22−1
天然記念物
     
 北野神社絵馬、扁額一式  北野神社 徳丸6−34−3
歴史資料
 粕谷家住宅  粕谷家 徳丸7−11−1
建造物
     
 徳丸ヶ原  徳丸ヶ原 三園、高島平、新河岸
史跡
 早瀬の渡し水神宮碑  新河岸公園 新河岸3−9
史跡
     
 圓福寺明徳二年雲版  圓福寺 西台3−32−26
考古資料
 圓福寺月待画像板碑
考古資料
 圓福寺のコウヤマキ
天然記念物
 圓福寺文書3852点
歴史資料
 京徳観音堂の延文六年宝篋印塔  京徳観音堂 西台3−53
歴史資料
 井上正昭、井上正員父子の墓
歴史資料
     
 庚申塔194基  高島平の旧跡、石仏 板橋区内
歴史資料
     
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郷土資料館

郷土資料館 
赤塚5−35−25 
西高島平駅より南700m 
農家、納屋、遊郭(新藤楼)の玄関などがある
旧田中家住宅
江戸時代後期に建設された農家
1971年徳丸5丁目より移設

納屋は1972年蓮根2丁目より移設

乗蓮寺

乗蓮寺(赤塚山慶学院 浄土宗)
赤塚城二の丸跡 
赤塚5−28 
西高島平駅より南1100m
本尊は阿弥陀如来

1971年首都高速5号線の工事で仲宿よりこの地に移転、登山家植村直己の墓所

天保飢饉の供養塔
 台石には1837年(天保8年)天保飢饉時に寺院内で埋葬した423人の死者の戒名が刻まれている
   
 
板橋信濃守忠康墓

松月院

松月院(萬吉山宝持寺 曹洞宗)
赤塚8−4
西高島平駅より南南東1200m
新東京八名勝

城主千葉自胤、作家下村湖人の墓所
高島秋帆の顕彰碑

千葉一族の墓
右:自胤
中:龍興院殿
左:比丘尼子雲
 
 
ヒイラギ
樹高:約10m
樹齢:約100年
1994年板橋区登録文化財に指定
赤塚村自治記念碑
1932年10月建立
松月院入口

赤塚村は1889年(明治22年)から
1932年(昭和7年)までの43年間で、
板橋区が設立され併合されます

大堂

松月院大堂(阿弥陀堂)
赤塚6−40 
西高島平駅より南南東1300m
平安時代後期作の阿弥陀如来坐像、閻魔王坐像が安置

1925年(大正14年)5月東京府旧跡に指定

大堂鐘楼
  
 
梵鐘は1340年鋳造の複製品
本物は1949年国の重要美術品に指定
 
銘文には漢文で「土に潜っている虫までも驚かし、衆生の悪夢を破るのは鐘の響きに他ならない」と記されているらしい

諏訪神社

諏訪神社
大門10
新高島平駅より南南西800m
千葉自胤が諏訪大社を勧請して赤塚城の鬼門よけとしたとされる

毎年2月13日に行われる田遊びは五穀豊穣、子孫繁栄を願う予祝の行事、1976年国の重要無形民族文化財に指定されている

夫婦イチョウ
  
 
 
諏訪神社こぶ欅
赤塚8−6
新高島平駅より南南西1100m

子育て信仰の対象とされた樹木
樹高20m、根廻り8m

氷川神社

氷川神社
西高島平駅より南南西900m
赤塚4−22
旧上赤塚町の鎮守、
祭神は素蓋鳴命、藤原広継命
氷川神社参道並木
長さ約200m
むくの木、けやき、桜など65本で構成

粕谷家住宅

粕谷家住宅
徳丸7−11−1
高島平駅より南1000m 

江戸時代後期に建設された農家
寄棟造り、茅葺
桁行:17m、梁行:11m
2003年板橋区文化財に指定

徳丸ヶ原

 

徳丸ヶ原碑
高島平8−24−1 
高島平駅より北200m  
1920年(大正9年)3月東京府旧跡に指定、徳丸ヶ原碑は1922年6月弁天塚に建立、碑文は徳富蘇峰による
1968年3月弁天塚より徳丸ヶ原公園に移設、弁天塚は新高島平駅近くにあった

徳丸ヶ原は徳川幕府の砲術場で、1841年高島秋帆により日本最初の西洋式砲術調練が行われた

御成塚跡
志村公園内、坂下1−5
志村三丁目駅より北東300m
将軍が鷹狩りに利用したとされる

早瀬の渡水神宮碑

水神宮
新河岸3−9
新高島平駅より北北西700m
1821年(文政4年)荒川畔に造立

荒川早瀬の渡より新河岸公園内に移設
埼玉県側かつての早瀬村にも水神宮がある

圓福寺

圓福寺(西台山 曹洞宗)
西台3−32 
駅より南1300m

1479年太田道灌が川越に開創、
1608年この地に移転

コウヤマキ(スギ科)
樹高:約20m 
根回:330cm
樹齢:約400年

1994年板橋区登録文化財に指定

京徳観音堂

京徳観音堂 
西台3−53 
西台駅より南南西1200m

古くは真言宗水想山京徳寺(教徳寺)の観音堂であった、堂内には聖観音座像が安置されている

1361年(延文六年)宝篋印塔
江戸幕府老中井上の子、正昭、正員の墓石

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