ベトナム戦争概要
南ベトナムからアメリカ合衆国軍隊が撤退し、南北ベトナムが正式に統一されたのは1975年4月30日であった。超大国アメリカが社会主義勢力から資本主義を守ることを名目に、植民地主義のフランスから引き継いで行った戦争に敗れ、ニクソン大統領が終結宣言を出すのは1973年3月29日である。
その後も南北ベトナムの戦争は続くのだが、後ろ盾を無くした南ベトナム政府は1975年3月北ベトナム軍のサイゴン総攻撃にて崩壊する。
南ベトナム政府関係者がヘリコプターに乗り米軍の航空母艦に避難し、甲板に溢れたヘリコプターを海に人力で落とす映像と、大統領府の入口の扉を北ベトナム軍の戦車が蹴り破るテレビ映像が今でも鮮明に思い出される。国家の崩壊がテレビ映像として世界に配信された瞬間であった。ベトナム戦争でのアメリカの戦費は3520億ドル、投下された爆弾は785万トン、米軍の死傷者は36万人、サイゴン政府とその他参戦国(韓国、タイ王国、オーストラリア等)の死傷者は62万人、ベトナム側死傷者は228万人と推定されている。
その後のベトナムは1976年6月ベトナム社会主義共和国の誕生、1978年カンボジアへの進駐、中国との戦争を経て平和を取り戻す。しかしベトナム難民問題の発生、1986年開放政策ドイモイの実施、1994年アメリカの経済封鎖解除と続く。在外ベトナム人の帰国も現在は可能で今回の旅行でも米国に滞在している画家と話す機会があった。
ベトナム戦争が終了してから27年余りが経過した。私の学生時代は「べ平連」抜きには語れない。多くの学生が「ベトナムに平和を市民連合」の主催するデモ行進に参加したことがあるからだ。戦争終了後のベトナムがどの様に変化しているかを見てみたいと考えた。
ベトコンや北ベトナム軍がアメリカ軍と戦った戦跡や補給ルート等が観光客に解放されている。しかし30年余りの年月の流れでアメリカ軍基地跡がコーヒー栽培園に変わっていたり、補給ルートに使われていた道は草に覆われている。
"HO CHI MINH"市の北西に位置する"CU CHI"トンネルはジャングルの中にあるが博物館に近く、北緯17度線の北側にある"VINH MOC"トンネルも同様だ。"HANOI"や"HO CHI MINH"市にある戦争証跡博物館にはアメリカ軍の戦闘機や戦車が展示されているが実感は湧かない。しかし戦争証跡博物館に展示されている多くの写真は当時の悲惨さを現在も生々しく伝えている。ベトナムを旅する
社会主義国であるベトナムを訪問するのにビザが必要であることに変わりはないが、以前実施されていた入国日、入国地、出国地の煩雑な指定は2000年より不要になった。今までは厳重に予定を立てないと難しかった旅行も少し融通が利くことになった。そして東京のベトナム領事館では5分間で観光ビザを発給してくれる。
ベトナムでは外国人相手の旅行業者がツアーや主要観光地間の定期バスを運行している。この定期バスをオープンツアーと呼んでいる。個人で手配して行くよりは料金も安く便利で、予約を入れることにより宿泊施設まで送迎もしてくれる。
しかし旅をすることは便利さと相容れないこともある。観光ツアーを利用するとツアーコンダクターや外国人旅行者だけとの交流で、現地の人々との接触が少ないのが欠点となる。結局は個人旅行だとしても現地で個別のパック旅行を購入しているに過ぎなくなる。そして同じ旅行業者を利用していると同じ観光客と一緒になることも多くなる。ベトナムは南北に長く(約2000キロメートル)観光客が訪問する町も限られている。旅行者は北の"HANOI"市から南の"HO CHI MINH"市へ移動するか、その反対のコースを取る場合が多い。
最初の"HALONG BAY"遊覧船ツアーで一緒になったスペイン人の若いカップルとは、"SAPA, BAC HA"少数民族訪問ツアーも一緒になり、"HOI AN"で再会し、最終目的地の"HO CHI MINH"市では滞在したホテルが同じであった。彼等は私より一日早く町を離れたので、ホテル前で見送りをすることになった。
"SAPA, BAC HA"少数民族訪問ツアーで一緒になったオランダ人の62歳になる男性とは、"HOI AN","HO CHI MINH"市で会い、最後は夕暮れのカンボジアのアンコールワットへ行くゲート前で会った。彼は老齢年金を資金に既に3年間世界中を旅行し、後一年間旅を続ける予定と話していた。今後ラオスを目指すと話していたので、ラオス北部で再会する可能性は有ったことになる。多くの日本人旅行者がパックツアーを利用しており、ツアーガイドによる日本人の評判も決まっている。それは「日本人は英語を話さない」、「日本人は英語を理解できない」であった。この様な評価を3人のツアーガイドから軽蔑を込めて直接聞くことになった。
最初は"HANOI"市内ツアーの若い女性のガイドであった。このツアーに参加したのは6人で、社会学の博士号を取るため豪州に留学予定の20代後半と思しき日本人女性、エクアドル人でシンガポール航空のパイロットをしている50代後半の男性と息子、ドイツ人でニュージーランドに住んでいる50代後半の男性、そして20代後半のアメリカ人女性であった。このガイドは自己紹介の後各人に名前、出身地と職業を聞き英語力を確認してきた。そして何かの拍子に「日本人は英語が出来ない」とはっきり言った。
次は"DALAT"郊外ツアーに参加したときの若い男性ガイドで、ツアーの最初に「英語が理解できますか」と直接私だけに確認してきた。このツアーに参加したのは7人で、アジア人は私一人であった。あまりにも不躾な問いかけであったので私は不快を感じ、後々彼の説明の間違い等を訂正することなる。彼が少数民族のチャム族出身で、差別の中で苦労して英語を学び、現在の仕事と地位を得ていることは理解できた。しかし不快感は後々まで持続した。
最後は"HO CHI MINH"市内ツアーの60歳過ぎの小柄な男性ガイドで、大統領府内を案内しながら10年程この仕事をしているが、日本人と会話を持ったのは今日が始めてと冗談半分に話していた。
"MY SON"チャム遺跡観光ツアーには行き帰りバスを利用するコースと、帰りはボートに乗り換え食事をしながら"HOI AN"に戻るコースがある。食事付のコースの料金を払いながらバスで戻った日本人の若い二人の男性がいた。彼等は自分が購入した観光ツアーが何か理解できていなかったか、途中での英語説明が理解できなかったようだ。"HOI AN"に到着した時にバスの運転手は舌打ちしながらこの二人を見送っていた。
言葉が出来ないから旅行が出来ないわけでは決してない。"CU CHI TUNNEL, CAO DAI"戦跡ツアーに参加した時にトンネルの事務棟で二人の若い西洋人女性に会った。この二人は聴覚障害者でガイドの説明が当然理解できていなかった。一人は何故か楊枝を銜え木枯文次郎のような女の子であった。外は土砂降りの雨で外を歩くには雨合羽が必要であった。売店で売られていることも解らずにいたので私が指差して教えてあげた。彼女達は値段を確認して無事に買い求めていた。
HALONG湾クルージング CAT BA島の夕暮れ マーケット, BAC HA 棚田, BAC HA ホーチミン廟, HANOI ホーチミン博物館, HANOI レーニン像, HANOI ドイモイ号, HANOI駅 ベトナムオープンツアー
10月中旬から4週間余りのベトナム旅行で利用した観光ツアーは次の通りである。食事や入場料が含まれているツアーといないツアーがある。入場料は一番高い"CU CHI"トンネルや皇帝廟で$5である。
宿泊費が含まれているツアーは相部屋が基本、一人部屋も可能であるが追加料金が必要となる。宿泊施設はゲストハウスが一般的である。酷い部屋が割り当てられた場合には苦情も必要である。ツアー購入時に利用される宿泊施設を確認した方がよい。
一部の大手ツアー会社には部屋の割り当てなどで西洋人優先の傾向が見られる。レディーファーストは基本だが日本人の女性は西洋人の男性より後回しにされたりしている。会社選択も必要だ。ツアー会社によっては相当古いバスが使われている。ホテルなどで手配する場合には確認した方がよい。バス料金は同コース、同会社でもサイゴンが安い傾向にあった。一部割引があるがサイゴンよりハノイまでの通しキップの購入は必要ない。ツアー会社選択の余地がなくなる。ツアーやバス料金は交渉によっては値引きされる。
1."HALONG BAY"遊覧船ツアー(1泊2日)
"HALONG"市まで大型観光バスで行き遊覧船にて鍾乳洞を訪ね湾内を遊覧し"CAT BA"島に一泊する。
宿泊費(相部屋)、食事、入場料含$16。一人部屋$20。
2."SAPA, BAC HA"少数民族訪問ツアー(3泊4日)
中国国境近くの山岳民族を訪ねるツアー。マーケットの開く土曜、日曜日に合わせ金曜日に小型ワゴン車にて出発する。宿泊費(相部屋)、入域料含$27。一人部屋$38。
3."HANOI"市内ツアー
ホーチミン博物館や寺院などを小型ワゴン車にて観光する。ガイド説明有り。食事、入場料含$12。
4.南北ベトナム非武装地帯ツアー
米軍基地跡、ホーチミンルート、"VINH MOC"トンネル等を大型観光バスにて訪問する。ガイド説明有り。
入場料含$9。
5."HUE"皇帝廟小型船ツアー
15人乗り位の小型船にて川沿いにある皇帝廟や寺院を訪ねるツアー。食事付$3。ガイド一切無し。
6."MY SON"チャム遺跡観光ツアー
"HOI AN"市の郊外にあるチャム遺跡を大型観光バスで訪ねるツアー。
帰りは食事付で舟を使うコースもある。料金$4。
7."NHA TRANG"遊覧船ツアー
湾内にある島々を訪ねる遊覧船ツアー。泳ぎが好きな人は楽しめる。食事、果物のおやつ付$6。
8."DALAT"郊外ツアー
"DALAT"は標高1500メートル。此処は涼しく新婚旅行地として有名である。
寺院、滝、絹工房やキノコ栽培を訪ねる。ガイド説明有り。入場料含$7。
9."MEKONG DELTA"遊覧船ツアー
"MYTHO"までバスで行き遊覧船で島々を訪ねる。食事付$7。
10."HO CHI MINH"市内ツアー
戦争博物館、大統領府、寺院等を小型ワゴン車にて訪問する。ガイド説明有り。入場料含$6。
11."CU CHI TUNNEL, CAO DAI"戦跡ツアー
"CAO DAI"教の寺院、"CU CHI"トンネルを訪ねるツアー。ガイド説明有り。料金$4。ベトナム旅行ルート
TOKYO - (航空機) - BANGKOK - (航空機) - HANOI
HANOI - (バス) - HALONG CITY - (船) - CAT BA - (バス) - HANOI
HANOI - (バス) - SAPA - (バス) - BAC HA - (バス) - HANOI
HANOI - (鉄道) - HUE - (バス) - HOI AN - (バス) - NHA TRANG - (バス) - DALAT - (バス) - HO CHI MINH
HO CHI MINH - (バス) - MYTHO - (船) - MEKONG DELTA - (バス) - HO CHI MINH
HO CHI MINH - (バス) - TAY NINH - (バス) - CU CHI - (バス) - HO CHI MINH
HO CHI MINH - (バス) - MOC BAI - (バス) - PHNOM PENH
マーケット、HOI AN 日本橋, HOI AN TAN KY HOUSE, HOI AN 子供達、HOI AN 北緯17度線、BEN HAI RIVER 米軍基地跡、KHE SANH 戦争証跡博物館, HO CHI MINH 戦争証跡博物館, HO CHI MINH 貴方は何処から来ましたか
海外旅行をしていると良く現地の人から国籍を聞かれることがある。それもすれ違っただけの人から急に聞かれるのは余り気持ちが良くない。私の場合は気分や相手により理解出来なかった振りをして無視したり、正確に国名を答えたり、他国のアジア人に成りすましたりする。今回のベトナム旅行では異常なまでの挨拶言葉として頻繁に国籍をきかれることになった。
一般的に海外では日本人と解ると物売りに高く物を売りつけられたり、しつこく付きまとわれたりするので、日本人であることはあまり得策ではない。これは日本人は高くても買う(現地での価値を知らない日本人価格)、しつこくすれば買う(拒絶反応をしない日本人)と経験上から理解されているからだ。十数年前に訪ねた中国桂林の山上で、観光客相手に切り絵を制作販売している男を観察していて、なるほどと思わされたことがある。その30歳余りの男は日本語、英語、フランス語、ドイツ語を話し、山頂にて景色を見ている観光客の横顔の切り絵を巧みにはさみで切り黒い台紙に添えて売っている。私が驚いたのは彼が素早く作る切り絵の出来映えではなく価格設定であった。最初から日本人には約500円、西洋人には100円余りと大きく差を付けていることである。日本人は自分の顔が作られたので買う人が多く、西洋人は無視するかハッキリと断る態度も対照的であった。
山頂までの長い階段を登ってくる中年の観光客はグループがほとんどで、その中から買いそうな人を選び切り絵を作る勘の鋭さにも驚かされることになった。
ところで其処に居た私はというと彼に中国人に見られたか、買う可能性のない日本人(貧乏旅行者)として判断されたかで完全に無視されていた。またまた彼の眼力に驚異を抱くことになる。ベトナムは二重価格の国で嘗ての中国と同様にホテル、レストラン、航空機、列車や入場料などが外国人観光客と現地人とは大きく差がある。ベトナム語が話せて顔が似ていれば現地人料金が適用される場合もある。私は中国で中国人に間違われたことが何度もあり、故宮や秦始皇帝廟など中国人料金で入場した観光地も多い。韓国、タイ、カンボジア、ラオスでも同じ様な経験をしている。ただ現地語が出来ないので正体が暴かれることが多いに過ぎない。これらの経験から私の顔はアジア人一般として十分に通用するようだ。
「日の丸」を持って「君が代」を歌う愛国心などさらさらない私には都合の良いことで、海外においては無国籍者アジア人を目指そうと思っている。今回のベトナム旅行では英語の"Where are you from?"を頻繁に聞かれうんざりする羽目になった。しかし彼等にとってこの言葉は旅行者への挨拶になっているようだ。
チャム遺跡, MY SON 遺跡にいた売店の女性, MY SON 民謡を聴く, MEKONG DELTA 小舟に乗り小川を行く, MEKONG DELTA 大統領府, HO CHI MINH 鐘突きの小坊主, HO CHI MINH 戦争当時の食を体験、CU CHIトンネル カオダイ教寺院, TAY NINH 元のページへ戻る