黒川鶏冠山(山梨県塩山市)
黒川鶏冠山は塩山市に属し、大菩薩領の北に位置する。山頂部が東西に細長い標高1710mの山である。この地域は東京都の水道水源林に指定されている。そのため比較的に自然林が多く残った静かな山である。私がこの山に興味を持ったのは、平安時代から始まる金坑があることを知ってからである。黒川鶏冠山に入るルートは私の知るかぎり、下記の7つのルートである。その内一般的なのは柳沢峠より入るルートである。柳沢峠周辺は水源林のハイキングコースとして登山道や、案内表示板も整備されている。柳沢峠には駐車場、手洗所、売店等がある。
一番短いコースは林道を使い横手峠の手前に入るコースである。歩く距離も短く黒川山に到着できるが、面白味に欠けることになる。
1.柳沢峠−六本木峠−横手峠コース |
2.御屋敷−六本木峠−横手峠コース |
3.落合−金場沢コース |
4.三條橋−泉水小屋−松尾根分岐点−横手峠コース |
5.三條橋−黒川谷出合−金鉱跡−横手峠コース |
6.藤尾−金坑跡−横手峠コース |
7.林道−横手峠コース |
8.黒川鶏冠山周辺
おいらん淵 黒川金坑跡 黒川神社 |
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1.柳沢峠−六本木峠−横手峠コース
青梅街道(国道411号)の柳沢峠(標高1472m)の石垣の脇から登山道は始まっている。熊笹の中を5分も歩くと周遊道に入る。これはハイキングコースの一部で、二人並んで歩けるほどの道幅がある。良く整備された平坦な道を進むと、左にハイキングコースを分け、しばらく行くと六本木峠に着く。右は大菩薩領、左は御屋敷、十字路を直進し、しばらく進むと視界が開け目的の黒川鶏冠山が正面に見えてくる。さらに進むと広く平らな松尾根で泉水小屋への広い道を右に分岐する。ここより少しで砂利道の林道に出る。この林道は御屋敷と柳沢峠の中間点から分岐し泉水谷林道に通じるようであるが完成はしていない。林道を横切り古い林道らしき広い道を進むと、右手に金鉱跡への道を分け横手峠に着く。ここから先の登山道は視界が開け、右手に大菩薩領が望める。緩い登りの山道を進むと黒川山の肩に着く。頂上へは左に折れて5分余りで奥秩父連山の視界が開ける。来た道を分岐まで戻り山を巻くように進むと鶏冠山との鞍部に達する。ここで左手に金場沢への道が分岐する。鶏冠山への道を進むとシャクナゲの生えたゴツゴツとした岩の道となり、左手を巻くように進み頂上に達する。頂上は狭く視界も黒川山と比べると悪く、小さな祠がポツンとある。
コース時間
柳沢峠−(50分)−六本木峠−(40分)−横手峠−(30分)−黒川山−(15分)−鶏冠山
六本木峠 横手峠への登山道黒川鶏冠山
六本木峠の近くにて 大菩薩領から見た紅葉の黒川鶏冠山2.御屋敷−六本木峠−横手峠コース
御屋敷−六本木峠間は歩いたことがないため不明。
3.落合−金場沢コース
青梅街道を丹波山村から柳沢峠に向かい、橋を渡り右に一ノ瀬高橋への道を分岐する。さらに進むと左に学校へ入る細い道があるのでこの道を取る。柳沢川に架かるコンクリートの橋を渡り、しばらく行くと民家の前で車道は途切れ登山道となる。植林された暗い森の緩やかな道を進む。さらに進むと森が開ける。左手がカネバ沢でハンノキ尾根の中腹を巻く登山道となる。しばらく登ると右に横手峠への分岐となる。ここを直進し黒川山の北面を巻き鶏冠山との鞍部に達する。この道は苔むした石畳もあり、良く整備された道で歴史を感じさせてくれる。ただ横手峠からの南斜面の明るさと違い、暗くジメジメとしており対照的である。コース時間
落合−(120分)−鶏冠山
4.三條橋−泉水小屋−松尾根分岐点−横手峠コース
三條橋から泉水小屋の林道終点までは未舗装の泉水谷林道を行く。林道から牛首谷に架かる橋を渡り登山道に入る。高低差の少ない山の中腹の道を進む。途中杉の植林された所で左に分岐する道があるが直進する。案内表示もなく分かりにくい所である。さらに進み登りにかかると林道に出る。林道の正面に登山道があるが案内表示はない。ここは林道を右に曲がり横手峠への道を取る。
このコースを下りに使う場合は林道を通らずに松尾根の登山道を下り林道を横ぎる方が解りやすい。コース時間
三條橋−(140分)−泉水小屋−(50分)−松尾根分岐点−(20分)−横手峠
東京市水道水源林のホウロウ板
木に食い込んだ歳月5.三條橋−黒川谷出合−金坑跡−横手峠コース
三條橋を渡り右折する。直進すると泉水谷林道となる。黒川谷出合までは柳沢川に沿う旧青梅街道を行く。この街道は途中から車は通行不能となり、黒川谷で姿を消す。黒川に架かる木橋の左側に、木に絡まれた旧道の橋脚が未だ残る。
黒川谷に掛かる木橋を渡り登山道に入る。このコースはほとんど人が入らず、荒れており雑草が山道を覆っている。急な登山道を登りきりしばらく行くと藤尾部落への分岐に着く。この辺の道は鮮明で難なく開けた「黒川千軒」と呼ばれた金坑跡へ出る。ここには多くの坑夫が住んで金の採掘に従事していたと思われるが、苔むした石垣や坑道が不気味に口を開けている以外は草が覆い当時の生活を偲ぶ縁はない。細い流れの苔むした黒川を渡り登りとなる。登り切ったところがノゾキのタワである。ここから横手峠までは尾根の中腹を通る平坦な道で左手に大菩薩領が望める。このコースはほとんどが自然林で落ち葉がフアフアとした快適な道である。
このコースの途中から黒川山の肩へ直登する道があるのを見つけたが、最後の詰めが見つからず戻ったことがある。古い道などで使われなくなった道が多いようである。コース時間
三條橋−(30分)−黒川谷出合−(60分)−金坑跡−(90分)−横手峠
ノゾキのタワ 途中の石仏
馬頭観世音と読める金坑跡の広場
スコップなどが散乱している6.藤尾−金坑跡−横手峠コース
藤尾の部落から柳沢川を渡り登山道に入る。しかし柳沢川に架かるこの木橋は民家の裏手の小道と通じている。ここは案内表示もなく解りにくいので、最初は村人に確認する必要がある。この登山道は急で道幅は狭いが踏み跡はしっかりとしている。川を渡り急な登りとなる。その先は中腹を巻くようにして進み、尾根を越えると黒川谷からの道に出会う。コース時間
藤尾−(120分)−金坑跡
柳沢川に架かる旧青梅街道の橋(藤尾橋?)
手前は旧青梅街道
三條橋間の一部が残っている7.林道−横手峠コース
青梅街道から林道に入り、松尾根近くで登山道に入る。歩く時間は一番短く核心部を歩くのみとなる。
林道は工事中で閉鎖されていることもある。コース時間
林道−(20分)−横手峠−(30分)−黒川山−(15分)−鶏冠山
8.黒川鶏冠山周辺
おいらん淵
この地を「おいらん淵」というが土地の人は「銚子滝」ともいう。おいらん淵はこれより上流の藤尾橋近くにある「ゴリョウ滝」のことではないかと伝える。
戦国時代、黒川千軒といわれたころ、金山の近く女郎郷に金山坑夫慰安の遊女を多く置いた。ところが武田時代末期、鉱脈がつき廃山のおりに当時五十五人もいた遊女たちを、金山の秘密が漏れることを防ぐため、柳沢川に宴台をつくりその上で舞わせた。舞の最中、宴台を吊っていた藤つるを切って、宴台もろとも淵へ沈めたことから「おいらん淵」の 伝説が生まれた。
下流の丹波山村にはその遊女の死体を引き上げお堂を建てて村人たちが供養したと伝える。現在お堂はないが、この地を「おいらん屋敷」と呼んでいる。
おいらん淵 説明版 黒川金坑跡
ここから南西の地に黒川鶏冠山(標高1710m)がある。その山裾黒川にそって黒川金山跡がある。黒川金山の歴史には平安時代、鎌倉時代、室町時代を通じてこの地方を治めた豪族三枝、安田、武田氏とのかかわりあいを伝えている。また採鉱については武田信虎時代からと伝え、とくに武田信玄時代が最盛期であった。武田軍の軍用金の多くはこの黒川金山から産出されたという、ところが武田勝頼のころには金脈が衰えて一時 閉山となったが、徳川時代になって、大久保長安らによって再び採掘がおこなわれた、その後金の産出量が減少し閉山となった。黒川金山には、黒川千軒といわれた時代の坑道跡、坑夫の住居作業場の跡がみられる。また鶏冠山周辺には寺屋敷、二番小屋尾根、御屋敷、女郎郷など当時をしのばせる地名がのこっている。
また、金山を管理する金山衆は在地武士団を形成して塩山市内上薮原、下於曽、熊野方面に住居を構えていた。塩山市*金坑跡には発電器や、スコップがうち捨てられているのを見ることが出来る。
塩山市観光協会
何時の時代も金の輝きは人を引き付けている。
坑道入口
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坑道より入口を見る
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黒川神社
一ノ瀬高橋の神社
高橋から犬切峠へ向かい左手にある鳥居 神社本殿