貧乏旅行の話

31.タイ鈍行列車の旅

タイ鈍行列車の旅

南方線乗車記

北方線乗車記

北東線乗車記

バンコクからマレーシアへ列車の旅

タイ鈍行列車の旅

 最近、日本では「鉄子」と呼ばれる人がいるらしい。「鉄ちゃん」は昔から日本に生息していた。鉄道好きの男性がそう呼ばれている。外国にもその種の趣味の人々がいる。日本では路線名、駅名をおぼえたり、写真を撮ったり、音を録音したりする人たちが主流であるらしい。海外では鉄道に乗車することが主流とのことだ。そのような人々は日本、中国、インドなどへ遠征しているようだ。
 私がその鉄ちゃんに含くまれるかは疑問であるが、鉄道に乗るのは嫌いではない。バスより数倍もましと思っている。それは移動空間、車窓から見える景色が違うからだ。

 タイ国有鉄道は大きく分けると、北方線、南方線、東方線、北東線の4路線に分けられる。総延長は4000キロメートル余りだ。
 北方線はバンコク - チェンマイ(Bangkok - Chiang Mai)間を結ぶ。距離は756キロメートル、約12時間。直通列車は特急4本、急行1本、快速1本。

 南方線はバンコク - スンガイコロク(Bangkok - Sungai Kolok)間を結ぶ。距離は1143キロメートル、約20時間30分。直通列車は特急1本、快速1本。
 この路線はタイ第二の都市ハジャイ(Hat Yai)から分岐しマレーシア、シンガポールに接続されている。終着駅のスンガイコロク(Sungai Kolok)からも線路はマレーシアの都市、コタバル(Kota Bharu)に接続されている。また、それぞれの地点で分岐し、トラン(Tran)、カンタン(Kanttang), ナコンシータマラート(Nakon Si Thammarat), ナムトク(Nam Tok)などの都市に繋がっている。

 泰緬鉄道は第二次世界大戦中に、ビルマ戦線の補給路として日本軍により建設された。建設時はノンプラドク - タンビザヤ(Nong Pladuk - Than Byuzayat)間を結ぶ。距離は415キロメートル。現在は一部が修復され、ナムトク(Nam Tok)まで運行されている。距離はバンコクより194キロメートル、約4時間30分。
 タイではバスや鉄道などの公共交通機関に、外国人料金は存在していなかった。ところが2005年12月より、泰緬鉄道において外国人料金が採用された。トンブリ - ナムトク(Thon Buri - Nam Tok)間は10バーツから100バーツに値上げされている。

 東方線はバンコク - アランヤプラテート(Bangkok - Aranyaprathet)間を結ぶ。距離は255キロメートル、約4時間30分。直通列車は2本。この路線はかつてカンボジアのプノンペン(Phnom Penh)まで繋がっていた。
 この路線はチャチューンサオ(Chachoengsao Junction)で分岐し南に向かい、パタヤを経てバンプルタルアン(Ban Phlu Ta Luang)に繋がっている。距離は184キロメートル、約4時間30分。直通列車は1本。

 北東線はバンコク - ノンカイ(Bangkok - Nong Khai)間を結ぶ。距離は624キロメートル、約9時間30分。直通列車は特急1本、急行1本、快速1本。
 最近この路線が延長され、メコン川に架かる友好橋を渡り、ラオスのタナレン(Thanaleng)まで延長された。
この路線はカエンコイ(Kaeng Khoi Jn.)より分岐しウボンラチャタニ(Ubon Ratchathani)へ繋がっている。距離はバンコクより575キロメートル、約8時間30分。直通列車は特急2本、急行1本、快速4本。

バンコク中央駅、Hua Lamphong
フォアヒン行きイベント列車受付
 
特急列車、二等席
外国人観光客

タイ国有鉄道路線図 時刻表 運賃表 付加料金

タイ国有鉄道の歴史 ジーゼル機関車 運行指示板

タイ国鉄時刻表、表紙
時刻表、裏表紙

 タイの鉄道は特急、急行、快速、普通列車に分けられている。さらに座席等級は一等車、二等車、三等車に分けられる。普通列車の三等車以外は座席指定になっている。三等車はかなり古い客車が未だ利用されている。ビニール張りや木製の座席も存在する。二等車は冷房付き、冷房なしがあり、ビニール製のリクライニングシートである。一等車は乗車していないので、残念ながら不明である。
 長距離列車には一等、二等の寝台車、食堂車が連結されている。車内には売り子もおり、食べ物や飲み物も購入可能だ。一部の特急列車には水やコーヒー等の飲み物、弁当が運賃に含まれている。

 タイの鉄道の線路幅は狭軌で、1000ミリメートル幅である。日本の多くの鉄道は1067ミリメートルと同等の狭軌である。そこで、古い日本の車両がタイに譲渡されている。タイの鉄道は電化されておらず、ほとんどの車両はジーゼル機関車で牽引されている。ジーゼルカーも走っており、制服の女性係員が乗車している編成もある。
 信号方式もバンコク近辺以外はタブレットが現在でも利用されている。ATSなどの安全装置は設置されていない。駅での発車音は鐘を鳴らす。列車の最高速度は毎時110キロメートル余りだ。また列車の黄害対策はされていない。昔の日本方式、垂れ流しだ。その為、私はできるだけ先頭車両に乗ることにしている。しかしジーゼル機関車の排気ガスには悩まされる。

 タイで鉄道に乗るにはそれなりの注意が必要だ。遅延は日常的で乗り換えには十分配慮する必要がある。これはほとんどの区間が単線だからだ。単線故に遅延を取り戻すのがかなり難しい。それと、運賃体系だ。長距離間利用する方が経済的である。それは冷房料金、寝台料金が距離に関係なく加算されるからだ。その為車両編成次第では一区間乗っただけで高い運賃が請求される。

 運賃の一例を挙げると、二等寝台下段、冷房付き運賃は、バンコク - チェンマイ(Bangkok - Chiang Mai)間は881バーツ、バンコク - ハジャイ(Bangkok - Hat Yai)間は945バーツである。VIPバスより料金は高いが横になれる占有空間は断然良い。
 タイ国鉄は二種類のレールウェイパスを発売している。
パスA:料金1500バーツ、利用期間:20日間、等級:二等または三等、寝台券、急行券は別途必要
パスB:料金3000バーツ、利用期間:20日間、等級:二等または三等、追加料金は不要
(各料金は2009年10月現在)

バンコク中央駅 Hua Lamphong
Chachoeng Sao駅
 
ビニール製椅子 三等車
木製椅子 三等車

南方線乗車記

 2009年9月のタイ旅行で南方線の普通列車を利用し、タイ南部ハジャイ - バンコク(Hat Yai - Bangkok)間929kmを旅行した。この路線は今回が初めてではない、タイ南部に入る方法として夜行寝台列車を何度も利用している。しかし、バンコクを夕刻出発するので、景色を楽しめる状況ではなかった。それと冷房車は暑さ対策で、窓から外が見えにくくなっている。今回は各都市間を普通列車で日中移動し、各駅の様子、すれ違う列車、乗客の表情、風景を楽しむことにした。

 第一の魅力は運賃だ。普通三等車はバスの半額以下とかなり経済的である。それと鈍行列車は田舎の駅にも停車する。満足な駅舎、駅員もいない、プラットホームもない、水田の中の駅も存在する。

 最初に乗った区間はハジャイ - ナコンシータマラート(Hat Yai - Nakon Si Thamarat)、183kmで運賃は37バーツであった。ハジャイを9時16分に出発し、ナコンシータマラート到着は13時55分となっている。列車番号は456番、停車駅数34。この列車はヤラ(Yala)始発で、タイ南部の治安悪化で先頭車両には軍人が銃を構えて乗っている。それと私が乗る前に下車した軍人以外の乗客はイスラム教徒が大半を占める。女性はスカーフで頭を被い、男は白い帽子を被っている。車窓から見える風景は水田が広がる。遅延は30分余りと納得できる範囲であった。
 ハジャイはタイ南部最大の都市、人口は約20万人、週末はマレーシアからの観光客で賑わう。ナコンシータマラートは地方都市で、人口は約12万人、イスラム教と仏教が共存している。外国人観光客は少ない。アユタヤ時代の山田長政終焉の地である。

Hat Yai 駅
駅構内、Hat Yai
 
Nakhon Si Thammarat 駅
駅前通、Nakhon Si Thammarat

 2番目に乗車した区間はチュンポン - プラチュアップキリカン(Chumphon - Prachuap Khiri Khan)、167kmで運賃は34バーツであった。チュンポンを6時42分に出発し、プラチュアップキリカンには9時45分となっている。列車番号は254番、停車駅数27。私の待つ駅には1時間30分余り遅れて到着、さらに途中の駅で2時間余り停車した。
 チュンポンはタイ湾に面しリゾート地が点在する。人口は約5万人。
 プラチュアップキリカンは駅から5分も歩けば美しい海岸に出られる。人口は約3万人。第二世界大戦時にマレー半島進駐時の、日本軍上陸地点の一つだ。

 途中の駅から小学児童100人余りの団体が乗車した。持ち物からして遠足のようである。児童を乗せた列車は信号を超え、単線区間に入り停車する。そして突然バックした。このような平坦地で突然のスイッチバックに私は驚いた。この駅には待避線は3本ある。列車は駅に戻り2番線に停車した。その後、気動車が客車を切り離しいなくなった。かなりの時間経過後気動車はコンテナの連結車を引き連れて戻ってきた。そして、1番線にコンテナ編成を停車させ、空いている3番線を通り前方に走り去った。今度はかなりの時間後コンテナ編成と、それを引いていた気動車もろとも引き連れて戻り、3番線に停車させた。1番線に停車させていたコンテナ編成を3番線に移し作業は終了した。
 この時点で、私は状況を理解した。先行していたコンテナ車の気動車が故障し、単線の途中で動けなくなったのだ。線路を空けるための対処方法であった。

 この作業のため列車はさらに2時間余り遅れた。この時点で児童の遠足は取りやめとなった。引率者が児童一人一人を抱きかかえて線路に降ろしていた。帰りの時刻も考えれば賢明な判断であった。しかし、当の児童達は駅で長時間列車を待ち、やっと来た列車に乗車し、水を飲み、お菓子を食べただけで、列車を降りることになった。
 タイで列車に乗るには十分な時間と、精神的余裕が必要なのだ。

Chumphon 駅
蒸気機関車、Chumphon 駅前
 
蒸気機関車、Chumphon 駅前
遠足の子供達

 3番目に乗車した区間はプラチュアップキリカン - フォアヒン(Prachuap Khiri Khan - Hua Hin)、89kmで運賃は19バーツであった。プラチュアップキリカンを9時46分に出発し、フォアヒンには11時25分到着となっている。列車番号254番、停車駅数13。駅には遅延情報用の手書き表示板があり、50分遅れとされていたが、結局は1時間30分遅れであった。当日は日曜日のため車内はかなり混雑していた。バンコク行きの家族連れが多く乗車していた。
 フォアヒンはタイで有名な避暑地である。人口は約5万人。王族の別宅があり、高級リゾートホテルも建ち並ぶ。しかし、町中を歩いてみると、バー、レストランが軒を連ね、ミニパタヤのようだ。西洋人観光客の姿が目立つ。

Prachuap Khiri Khan 駅
Prachuap Khiri Khan

 4番目に乗車した区間はフォアヒン - ペチャブリ(Hua Hin - Phetchaburi)、62kmで運賃は13バーツである。フォアヒンを11時28分に出発し、ペチャブリには12時36分到着となっている。列車番号254番、停車駅数8。この列車も1時間30分遅れて到着した。
 ペチャブリは仏教寺院が多く、歴史のある静かな町である。人口は約4万5千人。町の西部には町全体を見下ろせる小高い緑豊かな丘がある。

王族用待合室、Hua Hin
二等冷房付ジーゼルカー、Hua Hin
 
発車合図の鐘、Hua Hin
貨物列車

 5番目に乗車した区間はペチャブリ - トンブリ(Phetchaburi - Thon Buri(Bangkok Noi))、167kmで運賃は31バーツである。ペチャブリを7時09分に出発し、トンブリには10時50分到着となっている。列車番号は252番、停車駅数35。
 列車の到着は20分遅れであった。学生が通学に利用しているようで、学校があるプラットホームとは反対側に下車していった。今日は順調だなと思っていると列車はゆっくり走り出した。しかし、スピードが上がると私の乗る車両前部から連打する異音が発生した。列車はその場で停止、待機していた係員が下車して台車を見ている。何かの処置をしたようで、異音は軽くなった。部品が破損し金属の破片でも飛んでこないかと心配していた私はひとまず安心する。
 列車はその後大きく遅れることもなく、トンブリ駅に到着した。以前この駅はチャオプラヤ川に面していた。現在の駅舎は市場の隣に位置する。旧駅舎周辺は大きなビルの建設中であった。

 この旅行記を書いている間に悪いニュースが入ってきた。タイ国鉄の事故が発生した。2009年10月5日未明、トラン発バンコク行き500人乗りの夜行急行列車(列車番号84番)がフォアヒン駅近くで気動車と、客車5両が横転。10人が死亡、88人が負傷した。
 この事故の一週間後にもトンブリ駅近くで脱線事故があった。以前、知人のタイ女性から自分の乗車していた列車が脱線したと、興奮したメールをもらったことを思い出した。日本や、西欧諸国でも大きな鉄道事故は発生している。それ故タイ国鉄だけが安全性に問題があるともいえない。今回の私のタイ鉄道旅行は事故に会うこともなく、十分に楽しむことができた。

Khao Wang, Phetchaburi
Phetburi River, Phetchaburi
 
新Thonburi 駅
旧Thonburi 駅

 2011年2月中旬、タイ王国最南部、ハジャイ - スンガイコロク(Hat Yai - Sungai Kolok)間を乗る機会があった。距離は214kmで運賃は42バーツである。ハジャイを7時54分に出発し、スンガイコロク到着は12時08分となっている。列車番号は463番、停車駅数31。この普通列車はパタルン(Phattalung)始発である。この列車の先行はバンコク発スンガイコロク行きの特急、列車番号37番が走っている。

 この列車の切符を購入する前に時刻表を見ていて、ある発見をした。時刻表によると列車番号463番の乗車時間は4時間14分、列車番号37番の乗車時間は4時間12分である。普通列車と特急列車の乗車時間は2分しか違わない。同じ等級の車両に乗っても、運賃は特急料が加算され100バーツ以上違う。ここは貧乏旅行者として普通列車に乗ることにする。
 私の乗る列車はハジャイ駅に40分余り遅れて到着した。しかし、単線で過密ダイヤの普通列車としては上出来だ。その前にやはり遅れた先行の特急列車を私は見送っている。実際に乗車してみて列車ダイヤの実状が理解できた。乗車時間4時間余りの間に、すれ違う列車が4編成あるのだ。単線区間では特急列車とて早く走れないのが現状だ。

 以前からタイ王国最南部、パタニ、ヤラ、ナラッティワットの三県はイスラム教徒人口が多く、独立を要求する勢力の活動が激しい。現在も紛争地域である。そこで、各列車には軍人と警察官が警備のために乗車している。各駅は軍人が駐留し、弾丸よけの土のうが積まれ、フェンスと鉄条網で囲われている。駅近くの踏切も軍人が警備している。スンガイコロク市内には多くの軍人が警備していた。

 スンガイコロクは人口39,000人の小都市である。町東部にはコロク川が流れており、マレーシアとの国境になっている。街中には銀行や両替商も多く、タイバーツからマレーシアリンギットへの両替も可能だ。交換レートはマレーシアで両替するより有利だった。
(追記、2011年3月)

駅前、Sungai Kolok 国境の川、Sungai Kolok
 
タブレット、Surin ジーゼルカー、Surin

北方線乗車記

 2013年1月下旬、タイ北部パヤオ県を訪ねることにした。パヤオはチェンライ県の南に位置する。湖の傍にある人口2万人程の小都市である。ガイドブックにも詳細が無く、訪ねる外国人も少ない静かな所だ。
 バンコクからパヤオへ行く方法は、国道2号線を北上する直行バスが利用できる。鉄道の場合はチェンマイ行きの列車を利用し、途中のナコンランパン駅で下車する。今回の旅行は夜行列車に乗る予定を立てた。バンコク到着後、中央駅に行き冷房付き二等寝台の空席を確認する。ところが一等、二等車とも寝台や、座席も空席がない。かなり混雑しているようだ。2〜3日先も空席はないことが解る。この時期は駅構内にも西洋人旅行者が目立つ。数日後に再確認したが同じ状況であった。最後の手段は運賃も安く、座席指定のない普通列車を利用することである。

 そこで、バンコク9時25発のピサヌルーク行き、6両編成普通列車、列車番号201番にて終点まで行き一泊する。さらに翌朝のチェンマイ行き普通列車、列車番号407番に乗り継ぎ、ナコンランパン駅へ向かう。当日は8時半前にバンコク中央駅に到着した。そこで、特急列車9番の席を確認したが、やはり満席であった。1時間半後の特急列車3番は空席はあるようだった。しかしこの列車はナコンランパンまでは行かない。私は69バーツを支払い普通列車の乗車券を購入した。因みに二等冷房付き特急列車の乗車券は449バーツである。

 入線している列車の先頭車両に行き乗り込む。出発1時間前で混雑はしていない。列車は定刻9時25分に発車した。ところが何時ものことで、チットラダ公園近くで停車し、なかなか動かない。結局バンコク市街を抜けるだけで1時間の遅れとなった。普通列車は庶民の足である。短距離乗車の人が多い。遅れるのは何時ものことなので、慌てる人はいない。物売りが来て行き先を聞かれた。ピサヌルークと答えると、「随分遠くまで行くのね」との感想だった。普通列車にて終点まで行く外国人旅行者は多くはなさそうだ。因みにこの区間の距離は389km、停車駅数60である。

 ピサヌルーク到着予定時刻は17時50分である。しかし、1時間30分余りの遅れであった。バンコク市街を抜けてからは順調に走ったようだ。すれ違う列車の時刻を確認すると、かなり遅れているようだった。当日は駅近くのゲストハウスに宿泊する。

 翌早朝7時30分発のチェンマイ行き普通列車、407番にてランパンに向かう。距離253km、停車駅数37、運賃は48バーツである。ナコンサワン始発、3両編成のこのジーゼル列車は30分以上遅れてピサヌルーク駅に到着した。通勤客など多くの人々が下車し、静かになった列車に乗り込む。列車はウッタラディットまでは平地を走る。この駅を過ぎると緑に囲まれた山間部を走る。大きな町はなく無人駅などが点在している。信号機も自動化されておらず、タブレットが利用されている。シラットより先に行く普通列車は一日一本、この列車だけである。
 途中線路保守工事などが行われており、列車到着予定時刻の12時41分より、2時間30分余り遅れた。駅到着後、私は歩いてバスターミナルに行き、パヤオ行きのバスを捕まえた。

駅舎、Phitsanulok
駅舎、Phitsanulok
 
すれ違い列車を待つ
三等車車内
 
タブレットを持つ運転手
駅舎、Nakhon Lanpang

北東線乗車記

 2013年2月中旬、タイ東北部の東に位置するウボンラチャタニより、普通列車を利用しナコンラチャシマまで移動した。利用した列車は6時18分発の始発列車で、列車番号428番である。この区間の距離は329km、停車駅数41、運賃は58バーツである。ナコンラチャシマ到着時刻は11時55分となっている。約5時間半余りの列車の旅である。待ち時間を含めた平均速度は60km/hなのでかなり早い。

 宿を朝が明けぬ6時前にチェックアウトし、ソンテウにて駅へ向かうつもりであった。しかし、早朝でソンテウはあまり走っていない。荷物を担いで道ばたに立っている私を見つけ、ツクツクが寄ってきた。値段交渉の末40バーツで駅へ向かう。早朝の駅は静かであった。プラットホームには3両編成のジーゼル列車が停車していた。私は早速乗り込んで、使い古された内部に驚いた。床はすり減り、ほとんどの座席は穴が開いている。ひどい物は座席クッションの下にあるわらがむき出しになっている。この列車はたぶん私が経験したタイでの最悪の部類に入る。

 小さな駅から野菜や果物などを天秤で担いだ人々が乗ってきた。多くの荷物が運び込まれ車内は雑然とした。この列車はタイの担ぎ屋列車であった。車掌は早速荷物代を請求していた。太ったおばちゃんは高いとクレームを付けている。途中の駅から古いザックを背負った男が乗り込んだ。よく見ると交代の運転手であった。
 終着駅ナコンラチャシマ到着は、たったの10分遅れであった。時には順調に走るようだ。この間にすれ違った列車は8本である。しかし、対向列車はかなり遅れていた。

 ナコンラチャシマからバンコクへ向かう交通機関はバスか、鉄道である。バスは冷房が付き、本数も多く便利である。鉄道も冷房付きの2等急行列車や特急列車が運行されている。しかしこちらは325バーツと安くはない。そこで、私は普通列車を利用している。その理由は運賃の安さだ。それとバンコク中央駅から歩いて中華街にある安宿に行くのに便利だ。

 今回利用したのはスリン発7両編成、普通列車234番、ナコンラチャシマ8時22分発、バンコク到着14時15分、運賃は50バーツである。ナコンラチャシマの別名はコラートと言う。高原を意味するタイ語だ。その名の通り鉄路は山中を走りバンコクに向かう。途中大きな湖の畔を走る。景色も十分に楽しめる路線だ。

プラットホーム、Ubon Ratchathani
三等車車内
 
三等車車内
行商人
 
運転席
駅舎、Nakhon Ratchashima

バンコクからマレーシアへ列車の旅

 2012年1月、バンコクよりマレーシアを往復する方法として、再度鉄道を利用した。行きは列車番号37番の特別急行列車である。列車は12両編成で一等寝台車、二等寝台車、二等座席車、三等座席車、そして食堂車が連結されている。この列車はバンコク - スンガイコロク(Bangkok - Sungai Kolok)間を結ぶ。この区間を直接結ぶ列車は、他に列車番号171番の快速列車がある。区間距離は1143kmである。今回利用した二等車、冷房付き、下段寝台の運賃は977バーツであった。バンコクを15時10分に出発し、スンガイコロク到着は翌日の11時20分となっている。停車駅数26、乗車時間は20時間余りである。
 チケットの購入は4〜5日前から、滞在していた地方都市で確認していたが、下段寝台は購入不可であった。しかしバンコク中央駅で、出発日の前日に確認したところ下段寝台が購入できた。

 当日はホテルを12時にチェックアウトし、地下鉄を利用して、バンコク中央駅に入る。駅到着後構内のフードコートにて昼食を取る。その後20時間を超える乗車時間に必要な食料、水、ビールなどを近くのコンビニで購入する。出発時刻までは十分な時間があったが、4番プラットホームに行く。電光掲示板には列車番号の表示があり、すでに列車は入線していた。そこで、列車に乗り込み、自分の席に落ち着く。しかし、乗客は誰もいない、周りを見渡すと、乗務員が寝台用のシーツ、タオルケットなどを各寝台に配置していた。外では窓ガラスの掃除が行われていた。
 14時を過ぎると乗客も集まりだした。定刻より列車は少々遅れてバンコク中央駅を出発した。途中の駅から乗客が乗り、ほぼ満席となる。車内販売も普通列車と比べ静かだ。20時頃寝台が設置され、車内は静かになっていく、夜間は順調に走り続けたようだ。

 ハジャイ到着は定刻7時20分に対し、1時間遅れとなった。しかし、その後理由はわからないが2時間余り動かなかった。タイの鉄道では遅延理由などの説明は一切ない。その後、何とか列車は動きだし、スンガイコロク到着は2時間遅れの13時30分頃となった。マレーシアはタイと比べホテル料金が高いので、この日はスンガイコロクに宿泊することにする。
 タイ、マレーシアの国境通過可能時間は、タイ時刻で午前5時から、午後9時までである。(注:マレーシア時間はタイより1時間早い)

 今回のマレーシア旅行の目的はタマンネガラ国立公園を訪ねることである。朝の8時過ぎにスンガイコロクより国境を越え、バスにてマレーシアの国境近くの駅パシールマス(Pasir Mas)へ行く。この駅よりクアラリピス行き普通列車に乗る予定であったが、十分な時間があったので、普通列車SH82にて終着駅ツンパットまで行く事にする。ツンパットは周囲に畑が広がる小さな駅であった。この駅で線路は途絶え、その先は海が迫っている。この駅で2時間ほど待ち14時発のクアラリピス行き普通列車SH85に乗る。運賃は11.10リンギット(約280円)であった。所要時間は7時間余りである。さらに翌朝の列車にて、ジェランタット(Jerantut)まで行く。マレー半島中央部を走るこの路線はジャングルトレーンの愛称がある。
 この区間は鉄道利用がバスより時間、運賃共に有利のようだ。マレーシアの国鉄は普通列車でもリクライニング席、冷房付きである。

 ツンパット駅で列車に乗り出発を待っていると、見覚えのある寝台列車が入線した。ブルートレーンである。車体番号、行き先表示などは日本で利用されていたそのままである。駅で確認すると、2011年12月より東京−門司間に利用されていた、ブルートレーンがツンパット(Tunpat)−ジョホールバル(JB Sentral)間を走っている。マレーシアにおける愛称はタイガートレーンである。運賃はツンパット−ジョホールバル間は一等寝台で150リンギットである。列車番号は1019番。この列車をパシールマスより利用すれば、同日乗り継ぎで、バンコク−ジョホールバル間を列車移動できる。所要時間は40時間、2等寝台を利用した鉄道運賃は日本円で4000円余りとなる。また、クアラルンプールへ行く夜行列車も走っている。
 今回の旅行中に、すれ違ったブルートレーンを見ると、ガラスが割れ、テープで補修された、痛ましい姿だった。
 MTT(MALAYAN TIGER TRAIN) Trail for Adventureのパンフレットはこちらをご覧ください。
 

 スンガイコロク−バンコク間を普通列車を利用して旅行することも可能である。しかし、3回の列車の乗り継ぎが必要で、最低3日間はかかる。乗車時間は24時間弱、しかし遅れを考えれば24時間は軽く超えるであろう。途中の観光地を訪ねながらバンコクに戻る方法を考えてみた。

一日目は列車番号448番、スンガイコロク6時30分発にて、ハジャイ10時58分着、またはスラッタニ17時55分着、
二日目は列車番号446番、ハジャイ6時40分発、またはスラッタニ13時25分発にて、チュンポン16時30分着、
三日目は列車番号254番、チュンポン7時01分発にて、トンブリまで行く、到着は16時10分、

 今回の私はスンガイコロク、ハジャイ、チュンポン、プラチュアップキリカン、トンブリと普通列車を乗り継いだ。運賃は合計211バーツであった。因みに、現在タイ王国国民は普通列車の乗車運賃は無料となっている。
(各料金は2012年2月現在)

旧正月の飾り付け、バンコク中央駅
列車案内、バンコク中央駅
 
二等寝台列車
二等寝台列車
 
急行列車、マレーシア
普通列車、マレーシア
 
ツンパット駅、マレーシア
ブルートレーン、マレーシア

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