貧乏旅行の話

35.インドネシア、スマトラ島の旅

スマトラ島概要

旅行事情

スマトラ島縦断

スマトラ島概要

 スマトラ島はインドネシア共和国の西部に位置し、長さ約2000キロメートル、幅400キロメートル余りの長方形の島である。東側はマラッカ海峡に隔てられてマレー半島、西側はインド洋、南側はジャワ島、北部はアンダマン海に面している。スマトラ島のほぼ中央を赤道が横切っている。島の西側はユーラシアプレートの境界線上にある。その為島の西部は山脈が連なる。火山活動も活発で、東南アジア最大の火山湖ダナウトバがある。本島の西側には10余りの大きな島が平行して連なっている。

 スマトラ島の面積は47万4千平方キロメートル、人口は約4千5百万人、日本の本州面積は22万8千平方キロメートルなので2.1倍の大きさがある。スマトラ島は8つの州からなる。北からアチェ州、北スマトラ州、リアウ州、ジャンビ州、西スマトラ州、ベンクル州、南スマトラ州、ランプン州に分かれている。さらに東側の島嶼部も2つの州に分かれている。

 スマトラ島の有名な観光地は北からプラウ島、バンダアチェ、ラワン山、ベラスタギ、ダナウトバ、ブキティンギ等である。2004年12月に発生したインド洋大津波で破壊されたバンダアチェは修復されている。アチェ州の独立運動も和解が成立し、治安が安定し、外国人旅行者も増加しているようだ。今回の旅行では、インドネシアの隣国である、オーストラリア人の旅行者に多く会った。

 今回のスマトラ島旅行で強く感じたことは、インドネシアを旅行することは大変苦労が多いことだ。公共交通機関のバスやミニバンなどに乗ることが難しい。まず最初に目的地まで行くバス会社の営業所を探す。または町郊外のバスターミナルに行く。そこには総合案内所はなく、各バス会社のブースに行き時刻を確認する。しかしブースは常に開いているわけではない。列車の切符を買うのも、窓口が混雑していた。路線バスに乗り、町郊外の観光地を訪ねるのも、言葉が通じず苦労した。
 たぶん現地の人々も感じていることだと思う。言葉も満足に通じない、右も左も解らない外国人旅行者はなおさらだ。その為、多くの人々の助けが必要であった。今までの旅行でこれほどまでに、現地の人々に助けてもらった経験は私にはない。

 今回の4週間あまりの旅行期間で、長距離移動手段として、夜行列車と夜行バスにそれぞれ2回乗ることになった。12時に宿をチェックアウトした後、列車やバスの出発時刻まで、長時間待つことになった。これも毎回だとかなり苦痛に感じた。
 スマトラ島南北約2000kmを4週間余りで、観光旅行するのはかなり無理があった。原因は道路事情の悪さ、移動時間の長さがあげられる。私にとってスマトラ島旅行は難行、苦行の世界であった。

 スマトラ島では有名な観光地以外は外国人旅行者は少ない。その為か現地の人々から声をかけられることが多い。それも英語だったり、日本語だったりする。大学で日本語を勉強したり、日本に行ったことがあると話す人に何度か会った。日本の援助を受けての研修らしい。しかしそれらの人々も国に戻れば、研修とは関係のない仕事に就いている。現状では日本での経験が生かされているとは思えない。

 今回の旅行終盤にイスラム教のラマダンが始まった。私が滞在していたケタンベ村の人々はアラス川で沐浴し、鶏を裁き夕食の準備をしていた。夜には村はずれのモスクに人々が集まり、祈りを捧げていた。
 ラマダンの期間イスラム教徒は日の出から日没まで食べ物、飲み物を口にしない。その為、ホテルなどのレストランは窓に目隠しを張り、現地の人々に配慮している。しかし、キリスト教徒の多い地区では普通に食堂は開いており、皆が昼食を取っていた。また、メダン空港では、イスラム教徒の母子が普段と変わらず、ファーストフード等を食べていた。

 インドネシアへは16世紀から、ポルトガル、イギリス、オランダが進出する。20世紀初頭からオランダの植民地となり、第二世界大戦時は日本軍により統治される。戦後オランダにより再統治されるが、1945年から1949年独立戦争が起きる。
 インドネシア共和国は中国、インド、アメリカに次ぐ、人口2億4500万人(2011年推計)を有する世界4番目の大国だ。平均個人年間所得は$4200米ドル余りである。ちなみにタイ王国は$8700米ドル、日本は$34000米ドルである。(共に2010年推計)
 

旅行事情

 観光ビザ
 2004年2月よりインドネシア入国には、観光ビザの有料取得が義務づけられた。主要空港などで購入できる。30日間滞在可能なビザは$25米国ドルである。
 30日間以上滞在希望の場合には、領事館などで前もってビザを取得する必要がある。インドネシア国内でのビザ延長は不可能らしい。また、インドネシア入国には出国用の航空券や乗船券が必要である。(観光ビザ取得時に提示を求められる。)

 通貨、両替
 インドネシアの通貨単位はルピア(Rp)、日本円1円が約115ルピアに相当する。
両替レートはジャカルタ空港の両替商で、米国ドル$1=9430Rp、銀行両替で米国ドル$1=9250から9325Rp、成田空港の両替レートは1Rp=¥0.0111であった。(¥1=90.1Rp)

 銀行などの両替では紙幣にスタンプや、書き込みがあると、拒否される場合がある。トラベラーズチェックの両替は銀行にもよるが、数パーセントの手数料が取られる。しかし、請求されない銀行や支店もある。

 今回初めてクレジットカードでのキャッシングを試みた。BNI銀行ではATMから一度におろせる金額は150万Rp(約13000円)であった。海外キャッシングの手数料はTTM+精算日までの金利である。従って、両替経費は最大3パーセント(年利18%の場合)余りで、手数料が安い方法の一つである。
(2012年7月現在)
 
 交通機関
 スマトラ島内の交通機関は長距離移動は航空機、バスが一般的だ。長距離バスは多くの会社が存在する。各大都市郊外にはバスターミナルがある。しかし、全てのバスがそこから出発するわけではない。大手のバス会社は営業所があり、そこを起点に運行されている。その為、移動する前にバス会社を選び運行区間、出発時刻を確認する必要がある。
 長距離バスにはエグゼクティブと呼ばれる、横三列、縦六列の18人乗りや、エコノミーな横四列、縦八列の32人乗りなどがある。長距離バスの多くは夜間運行されている。長距離バスは一般的にエアコン、トイレ付きが利用されている。大型バスとは別に近距離区間ではミニバンも運行されている。ミニバンの多くは予約により送迎される。

 長距離バスはスマトラ島とジャワ島間の、主要都市を結ぶバスも運行されている。しかし、運賃は航空機と大差なく移動時間がかかる。エグゼクティブバスは途中のバスターミナルに由ることのない、ノンストップ運行がされている。スマトラ島の道路事情は舗装はされているが、余り良くない。トランススマトランハイウエイがスマトラ島の中央を走っているが、高速道路ではない。

 鉄道は電化されておらず、島の南部と北部にあるが運行本数は少ない。長距離区間は昼、夜間各一本で移動手段としては限定的だ。車両はエグゼクティブ、ビジネス、エコノミーの3等級があり、エグゼクティブ以外はエアコンが装備されていない。エグゼクティブ席には毛布、枕が装備されている。乗車券はターミナル駅やインドマートなどのコンビニで予約購入できる。しかし7500Rpの手数料が取られた。運賃は平日、週末などの違いがある。また長距離列車の遅延は日常的だ。
 乗車券窓口は常に開いていない。バンダーランプンでは夕刻まで駅のシャッターが閉まっていた。

 大都市の交通機関は路線バス、オペレット(ライトバン)、ラビラビ(乗り合いトラック)、ベカック(三輪タクシー)、 乗用車タクシーなどがある。
 インドネシア旅行ではバスなどで、切符の発券がない乗り物ではぼられることが多い。これらを防ぐ方法は運賃などの予備知識を前もって持っている必要がある。ぼる手法は運賃の支払が後払いなのに、先に請求したりする。

 インドネシア滞在中、交通事故を見る機会が何度もあった。高速道路でスピードを出す。運転マナーが悪い。車両点検が悪い。道路保守が悪い等原因はいろいろありそうだ。

 治安
 インドネシアは貧富の格差が大きく、治安の悪さも度々現地の人々から指摘された。スリや置き引きが多いようで、自分の荷物からは目を離すなと、現地の人々から忠告されることが多かった。
 スマトラ島最大の都市メダン市には日本領事館がある。そのホームページを読むと、治安についてはかなり深刻に書かれている。

 外務省の海外危険情報では首都ジャカルタ、バリ島を含め「十分注意してください。」が発令されている。現在アチェ州の危険情報は引き下げられ「十分注意してください。」が適用されている。

 旅行シーズン
 今回私が旅行したのは2012年6月下旬から7月下旬であった。旅行シーズンと思っていたが、旅行者はかなり少なく感じた。例外はトバ湖、ベラスタギ、ブキティンギ、バンダアチェである。それ以外の所では外国人観光客は少ない。ましてや日本人旅行者には出会わなかった。
 今回旅行した6月と7月のメダンの天候は雨期に当たり、平均雨量は150ミリ、最高平均気温は32度である。赤道に近い地域は年間を通して気温の変化は少ない。

 宿泊施設
 前回の2011年1月、ジャワ島旅行でも感じたことだが、インドネシアの宿泊施設はタイなどと比べ、料金は高く設備も良くない。また満室で宿泊を断られることが何度かあった。宿泊施設が不足しているのが一因のようだ。
 今回宿泊したホテルの最高額はパダンのビジネスホテルでエアコン、洋式便座、お湯シャワー、液晶テレビ、朝食付きで、42万5千ルピア(3700円)であった。しかし、この部屋には冷蔵庫、ロッカー、ライティングデスクなどの家具はなかった。最低額はケタンベのバンガローで、マンディー(溜置き水を洗面、沐浴、トイレに利用する方式)付きで5万ルピア(450円)である。

 一番高く感じた部屋はペカンバルで宿泊したホームステイで、窓なし、ベット、マンディと扇風機のみで、9万ルピア(800円)である。この金額ならタイの地方都市でエアコン、温水シャワー、テレビ付きホテル(旅社)の部屋に泊まれる。
 その他の宿泊費は12万ルピア前後で、マンディー付き、しかしこれより安い部屋はマンディーが無く、扇風機もつかない。テレビなどは論外だった。タオル、石けん、トイレットペーパーなどのアメニティは無いところが多かった。マンディーは一般的にお湯の供給はない。インドネシアでは中級ホテル以上は朝食付きが一般的だ。その為、一人でツインの部屋に宿泊すると割高に感じる。
 マンディーではボウフラが沸き、蚊に悩まされることになる。マラリヤ、デング熱には十分注意が必要だ。

 衛星放送の対応も安宿ではほとんど無い。英語放送などで国外情報を得るのは不可能である。インターネットは外国人観光客が宿泊する施設には完備されているが、その他の安宿には設備されていなかった。しかし、マクドナルドなどでWi-Fiが利用できる。インターネットカフェもあるが、料金徴収問題でパソコンの持ち込みは不可能なところが多い。

 食事
 中級のレストランで肉、魚などの主菜と米飯、ビール大瓶で7万から8万ルピア。昼食はナシゴレン(焼き飯)と紅茶や水などの飲み物で、2万ルピア前後。
 ビールは大瓶で2万5千から3万5千ルピアぐらいする。レストランによっては宗教的な関係で、ビールの提供がないところも多い。また屋台などで食事する場合は注文する前に料金の確認が必要だ。

 日本からの航空運賃
 日本からインドネシア、ジャワ島のジャカルタ、バリ島のデンパサールへ直行便が飛んでいる。その他クアラルンプール、シンガポールなどの経由便は多数ある。滞在期間が短ければ安い航空券が手に入る。しかし1ヶ月を超える旅となると、大手航空会社ではそれなりの費用がかかる。出発1ヶ月前に調べた、2ヶ月間有効の早期割引運賃は、全日空の東京ージャカルタ、バンコクー成田が76330円で一番良さそうだった。その他の航空会社は日本航空で164430円、タイ航空で180030円であった。中華系の航空会社が両区間を運行しているが、乗り継ぎ、深夜到着、運賃などを検討し、利用しないことにした。

 今回調べた航空会社ではやはりエアアジアが一番安い。合計運賃は55000円前後であった。しかし、羽田から深夜便で出発し、クアラルンプールで乗り継ぎが必要である。帰国時は深夜羽田到着などの問題があり、利用するのをためらった。またLCC(低運賃航空会社)は運賃、食事、飲み物、預け入れ荷物、保険料、支払手数料等の合計料金と、座席間隔、娯楽設備、サービスは本当に安いか疑問に感じる。またLCCは一般的に、予約キャンセルで支払ったお金は戻らない。(出発前のキャンセル料金は全日空の場合2万円、タイ航空は1万円である。)

 メダン−バンコク間はエアアジアを利用した。航空運賃は505900Rp(約4400円)である。この運賃には軽食および飲み物、預け入れ荷物15kg、手数料(クレジットカード支払い)が含まれている。メダンの空港使用料は別途75000Rp(約650円)が必要である。

 今回の旅行ルート
Tokyo - Jakarta
Medan - Bangkok
Bangkok - Tokyo

 時差、その他
 スマトラ島は日本時間に対し2時間遅れである。インドネシア共和国は東部、中部、西部で各1時間の時差がある。

 今回の旅行中にマラリア対策として、ベンクルの医師のいる薬局で予防薬を購入した。Chloroquine系の薬で、価格は20錠で約80円である。予防は一回2錠の服用で一週間有効であるが、耐性菌の関係で有効性は低いようだ。有効性の高いMefloquineを探したが見つからなかった。この薬の価格は諸外国でも高いようだ。日本国内でも医師により処方されている。
 

スマトラ島縦断

2012年6月の旅行ルート
Narita  -(航空機)-  Jakarta
Jakarta -(バス)- Serang -(バス)- Merak -(フェリー)- Bakauheni -(バス)- Bandarlampung -(夜行列車)- Palembang -(夜行列車)- Lubuklinggau -(ミニバン)- Bengkulu -(バス)- Mukomuko -(ミニバン)- Padang -(小型バス)- Bukittinggi -(ミニバン)- Pekanbaru -(夜行バス)- Medan -(夜行バス)- Banda Ache -(バス)- Bireuen -(ミニバン)- Takengon -(ミニバン)- Blangkejeran -(ミニバン)- Ketambe -(ラビラビ)- Kutacane -(ミニバン)- Medan
Medan -(航空機)- Bangkok

2011年2月の旅行ルート
Medan -(バス)- Berastagi -(オペレット、バス)- Parapat -(船)- Tuk Tuk -(船)- Parapat -(バス)- Medan

 スラン
 ジャワ島西部に位置するバンテン州の州都、人口 万人。首都ジャカルタの西100kmに位置する。
 スカルノハッタ国際空港よりダムリエアポートバスにて、スランへ直接向かう。約2時間、運賃3万Rp。
バスは空港周辺の一般道で客を拾い、高速道路を通り町に到着したのは暗くなった19時前であった。バス車内で教えてもらったホテル前で下車する。しかしそのホテルは満室であった。近くのホテルを探したが高級ホテルしか無く、他のホテルを教えてもらいオペレットにて鉄道駅近くへ移動する。ここでも数軒のホテルを当たり、公園前のホテルにやっと荷物を下ろすことが出来た。

 翌早朝は町の北部に位置する漁村、航海時代の首都だった、バンテンを観光に行く。この町にはオランダ統治時代の要塞、16世紀に建設されたモスク、八角形のミナレット、パレス跡、博物館などがある。

 昨夜宿泊したホテルの料金が高いので、スランよりバスにてフェリー港のあるメラックへ移動する。約1時間、運賃1万Rp。
バンダーランプンに夕刻到着するのを嫌い、港近くのホテルに一泊する。ホテル周辺の港、鉄道駅、市街地を散策する。

 翌早朝の連絡船にてスマトラ島南部Bakauheni に渡る。海は穏やかで、2時間余りの航海だった。運賃はエコノミークラスで11500Rp。その後大型バスに乗り、90km北にあるバンダーランプンに入る。約3時間半、運賃は1万7千Rp、途中海岸沿いにある工業地帯を通過する。

 
アグンモスク、Banten
博物館、Banten
 
スロソワン、Banten
ケラトン、Banten
 
鉄道駅、Serang
公園、Serang

 バンダーランプン
 スマトラ島の南部、ランブン州の州都、人口85万人。スマトラ島で4番目に大きな町である。
バスの到着は町北部にあるバスターミナルであった。路線バスにて町の中心地、鉄道駅近くへ移動する。

 大きく近代的な町である。しかし、歴史的に見るべき物は少なく、州立博物館、Kurakatau記念碑などがある。博物館の展示はこの地方の慣習に関する物で、婚礼儀式、、割礼儀式、お面、民家等である。

 バンダーランプン駅(Tanjungkarang)を21時発の夜行列車に乗る。エグゼクティブ料金は13万Rp、パレンバン駅(Kertapati)到着は翌早朝5時の予定が、8時半であった。列車はかなりゆっくりと走っている。夜間走行で景色が楽しめないのは残念であるが、日中走る普通列車はかなり混雑しているようだ。二都市間の距離は約200km、バスの所要時間は約10時間。
 

Merak
Bakauheni
 
市街、Bandarlampung
割礼の展示、Bandarlampung
 
鉄道駅、Bandarlampung
Bandarlampung

 パレンバン
 ランプン州の北に位置する、南スマトラ州の州都、人口167万人、スマトラ島で2番目に大きい町である。
 鉄道駅は川沿いにあり、町の南部に位置している。オペレットに乗り町の中心地へ向かう。二本目の橋を渡り、オペレットを下車する。歩いてホテルを探す。町中心のホテル近くにはショッピングセンターもあり便利なところだ。インドマートにてルブックリンガウ行き列車の切符を購入する。

 町の中心にオランダ統治時代の要塞(現在は軍の基地)、スルタン博物館、ガルーダ記念碑、モスク等がある。町の北部には州立博物館がある。ここの展示は日本統治時代の説明があり、刀も展示されている。ここでは結婚式が行われていた。

 パレンバン駅(Kertapati)を20時発の夜行列車に乗る。エグゼクティブ料金は10万Rp、ルブックリンガウ駅(Lubuk Linggau)到着は翌早朝3時31分の予定が、6時半であった。3時間の遅れであった。隣の席の若い男の案内で、ミニバンに乗る。この車は彼がチャーターした物らしい。Lubuk Linggau - Curup - Bengkuluとミニバンを乗り継ぐ。約5時間、運賃は5万Rp、山岳地帯を通り抜け西海岸に着く。
 

アグーンモスク、Palembang
ガルーダ記念碑、Palembang
 
スルタン博物館、Palembang
オランダ要塞、Palembang
 
州立博物館、Palembang
新郎新婦、Palembang

 ブンクル
 南スマトラ州の西に位置する、ブンクル州の州都、人口38万人。インドネシア初代大統領スカルノの出身地である。
 ミニバンをホテル前で下車する。しかし部屋の準備はされていない。仕方なく歩いて周辺のホテルを探す。料金、設備など納得がいかず元のホテルに戻る。

 旧市街には18世紀に作られたイギリス植民地時代の要塞、モニュメント、州政府の宮殿、モスク等がある。南部にはスカルノ博物館、州立博物館などがある。

 私の宿泊したホテルにはブンクル州の学校の先生が、泊まりがけで研修を受けていた。彼らの休み時間に交流を持つ。英語、数学、国語、宗教などの先生達である。日本の教員の給料を聞かれたり、次の宿泊地は200km北にあるムコムコにしたので、ホテルなどの情報を得る。

 ホテルとなりのバス営業所より、午前11時発のブキティンギ行きバスに乗る。ムコムコ到着は夜の7時過ぎであった。運賃は8万Rp。このバスで一昼夜揺られるのはかなり厳しいと感じた。この営業所からはジャワ島のソロ行きなど長距離バスも運行されている。
 

州政府宮殿、Bengkulu
州モニュメント、Bengkulu
 
Thomas Parrモニュメント、Bengkulu
Bengkulu
 
イギリス要塞、Bengkulu
学校の先生、Bengkulu

 パダン
 ベンクル州の北に位置する、西スマトラ州の州都、人口96万人。
 ホテルの手配してくれた8人乗りミニバンにてパダンに向かう。距離は約300km、約10時間である。運賃10万Rp。この車の助手席が確保できたので、幸運だった。ミニバンの後部席は足が伸ばせず、窮屈だ。ミニバンは各自の目的地まで乗せてくれる。しかし、私の宿泊するつもりのホームステイは移動したとかで、近くで下車する。夜間荷物を持って安宿を探すことになった。翌朝ホテルの周りを歩くと簡単に安宿が見つかった。また、町中心部には高級ホテルも多く、シーズンにより安く宿泊できるようだ。

 市内には州立博物館、カルチャーセンター、モスク、中国寺院などがある。

 オペレットに乗り町北部にあるバスの営業所へ行く。ここからブキティンギ行きの小型バス(13人乗り)が出ている。約2時間、運賃1万6千Rp。ここで日本語をバンドンの大学で勉強したという女性に声をかけられる。同じバスに乗ったので、時々日本語で話をする。しかし、日本語を利用する機会は少ないと話していた。
 小型バスは平地をしばらく走った後、山岳地帯に入る。週末のためか道路はかなり混雑していた。バスなどによる無理な追い越しも多く、運転マナーの悪さには閉口した。

 Padan - Bukittinggi間には鉄道が敷かれていたが、現在は廃線になっている。道路と平行して線路や鉄橋の遺構が残る。しかし住宅街など一部の線路は撤去されている。
 

博物館、Padang
カルチャーセンター、Padang
 
Padang
Padang

 ブキティンギ
 西スマトラ州パダン市の北方89kmに位置する高原の避暑地、標高930m。人口9万5千人。
 訪れる外国人観光客も多く、宿泊施設も安宿から高級ホテルまでいろいろある。バスターミナルよりオペレットに乗り、町北部へ移動する。カンプンチナ周辺の安宿を10軒ほど当たる。週末だったためか、断られることが多く、結局は眺望の良い中級ホテルに宿泊する。料金は温水シャワー、テレビ、朝食付きで、24万Rpであった。値引き20パーセントが宿泊する決め手となった。このホテルのオーナー婦人が日本人との混血で、親しく会話が持て、日本軍駐留時の話を聞くことが出来た。

 市内には動物園、博物館、オランダが建設したベンテン要塞、パノラマ公園などがある。パノラマ公園には日本軍が建設した地下トンネルが残る。眼下は切り立った断崖になっている。また、この地方のミナンカバウダンスを見せる劇場がある。日本人ツアー客20人余りがバスで来ていた。彼らは蚊取り線香を身につけており、準備の良さに驚かされた。

 観光鉄道もパダンパンジャン−サワルント間を結ぶ。週末だけ運行されているようだ。

 ブキティンギの町からは東に活火山のメラピ山(標高2891m)、南にシンガラン山(標高2877m)が望める。近郊の観光地は西38kmに火口湖のマニンジャウ湖、南にシンカラック湖がある。町の北東55kmにはハラウ谷がある。

 午前中にペカンバル行きのミニバンの予約を取る。車は午後2時にホテルへ迎えに来た。区間距離は221km、所要時間は7時間、運賃は7万Rp。
 

シンガラン山、Bukittinggi
動物園、Bukittinggi
 
メラピ山、Bukittinggi
公園、Bukittinggi
 
パノラマ公園、Bukittinggi
日本兵像、Bukittinggi

 ペカンバル
 西スマトラ州の東に位置する、リアウ州の州都、人口75万人。オイルの生産基地である。
 ミニバンをホテル前にて下車する。しかし、私の指定したホテルではなかった。料金を聞くと安い部屋は満室だった。目的のホテルを聞き歩いて移動する。しかしそこは外国人の宿泊をやめたようだ。近くのホームステイまで案内してもらう。

 市内には州立博物館、リアウ文化公園、18世紀建設のラヤモスク、政府の宮殿などがある。
 
 リアウ州から北スマトラ州を抜け、アチェ州に直接移動する。移動距離は1200km余りである。Pekanbaru - Medan - Banda Acheとノンストップ夜行バスを乗り継ぐ。Pekanbaru - Medan間は横三列、18人乗りバスに乗る。運賃は21万Rp、区間距離は637km、所要時間は約15時間であった。メダンにて一泊した後、Medan - Banda Ache間は横三列、21人乗りバスに乗る。運賃は18万Rp(18人乗りは20万Rp)、区間距離は560km、所要時間は約11時間であった。やはり18人乗りのエグゼクティブバスの方が、座席間隔が広く快適だ。これらのバスには毛布と枕が装備されている。

 ペカンバルからバンダアチェへの直通バスがある。バス会社はPelangiで、運賃は32万Rp、所要時間は24時間、32人乗りのバスで一昼夜乗り続けるのは大変そうだ。
 

博物館、Pekanbaru
州政府宮殿、Pekanbaru

 バンダアチェ
 スマトラ島北部、アチェ州の州都、人口21万人。
 2004年12月26日に発生した、インド洋大津波で町が破壊された。しかし現在はほぼ復旧されている。津波被害に関連した施設も建設されている。津波博物館、津波で運ばれた発電船、津波記念公園などがある。津波によるインドネシア人の死亡者は16万6千人とされる。

 観光施設は州立博物館、マスジットラヤ、グノンガン(王妃のために作られた施設)、ケルーコフ(オランダ人墓地)などがある。

 アチェ州では外国人観光客の姿を多く見かけた。また北部にある島を訪ねる観光客が多いようだ。
バンダアチェよりタケゴンに向かう。直通バスを探すが、バス会社、出発時刻は解らず、仕方なくメダン行きバスに乗る。分岐点のビレウエンにて下車、ミニバンに乗り換えタケゴンに入る。所要時間は約9時間、運賃は合計7万5千Rpであった。
 

オランダ人墓地、Banda Aceh
津波博物館、Banda Aceh
 
州政府宮殿、Banda Aceh
州立博物館、Banda Aceh
 
ラヤモスク、Banda Aceh
グノンガン、Banda Aceh
 
発電船、Banda Aceh
市街、Banda Aceh

 タケゴン
 アチェ州の中部、ガヨ高地にある山間の町、海抜1120m、町の東部には長さ26kmのラウットタワー湖がある。

 町周辺には洞窟、滝、温泉などがある。

 バスターミナルよりミニバンにて南部中心の町、ブランケジェランに向かう。所要時間は約6時間、運賃は8万Rp。ケタンベ行きのミニバンを探すが無いようだった。
 
 

Takengon
Takengon

 ブランケジェラン
 南部ガヨ高地の中心的な町、山間の盆地である。

 町には観光するべき物はなさそうだ。宿泊したロスメンの近くを散策する。警察官と話した後、彼の家へ行く。近所の若い女性が寄ってきた。メダンの女子大生である。英語の先生を目指していると話していた。彼女と田園風景が広がる郊外を散策する。

 バスターミナルよりミニバンにてケタンベへ向かう。所要時間は4時間、運賃は3万5千Rp。
 

市街、Blangkejeran
警察署、Blangkejeran

 ケタンベ
 アチェ州の南に位置するアラス渓谷沿いの村、2004年にユネスコ自然遺産に登録された。熱帯雨林のレウサー山国立公園に属する。

 観光客はバンガローに宿泊し、熱帯雨林のトレッキング、温泉や滝などを訪ねたり、オランウータンなどの動物の観察、ラフティング、キャンプなどを楽しんでいる。しかし、大都市メダンからはかなり遠い。その為観光客は少ないと、この地に移住しているオランダ人女性は話していた。メダン近くにブキットラウアンがあるのも原因のようだ。

 クタカン、ベラスタギを経てメダンにミニバンにて向かう。所要時間は約9時間、運賃は6万5千Rpであった。
 

アラス川、Ketambe
幹線道路、Ketambe
 
子供のオランウータン、Ketambe
雌のオランウータン、Ketambe

 メダン
 北スマトラ州の州都、人口200万人、スマトラ島最大の都市である。インドネシア共和国では、ジャカルタ、スラバヤに次ぐ三番目に人口を有する町である。

マイモン宮殿、マスジットラヤ、北スマトラ博物館、軍事博物館、他にオランダ植民地時代の建物などが残る。
 
 

ラヤモスク、Medan
マイムンパレス、Medan
 
旧市街、Medan
市街、Medan

 ベラスタギ
 メダン市南部の、標高1300メートルのカロ高地にある避暑地。

 町の北部にある活火山のシバヤック山(標高2094m)などへのトレッキングが行われている。周囲には滝、温泉などがあり、北部には標高2450mのシナブン山がある。
町の周囲には伝統的な建築のPeceren、Lingga、Dokanなどの村が点在している。

 メダン市のバスターミナルより中型バスが出ている。所要時間は2時間半、運賃は8千Rp。

 
Sibayak山、Berastagi
市街、Berastagi
 
市街、Berastagi
Berastagi

 ダナウトバ
 北スマトラ州の中央に位置する、東南アジア最大の火山湖、トバ湖の中央に大きなサモシール島がある。島の中部にツクツク半島があり、宿泊施設も多く、外国人観光客で賑わっている。トバ湖の大きさは1700平方キロメートル。

 Berastagi - Kabanjahe - Siantar - Parapatとオペレット、バス2台を乗り継ぎ、トバ湖のボート乗り場へ到着する。所要時間約5時間、運賃は2万7千Rp。

Danau Toba
Danau Toba
 
Danau Toba
Danau Toba
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