貧乏旅行の話

34.人の情けを知る旅

人の情けを知る旅

旅先で招待を受ける

人の情けを知る旅

 知らない土地を一人で歩くには、現地の人々の助けが必要になる事が多い。訪ねた町の地図を持っていればホテルなどを探すのにさしあたって問題はない。しかし、地図がなければ誰かに聞く必要がある。列車やバスの時刻を確認する。乗車券を購入する。道を教えて貰う。それは日本国内でも海外でも同じだ。公共交通機関に間違えて乗ったり、道に迷ったりしたときは、そこにいる人々に頼ることになる。
 時間に余裕があれば道に迷うことも旅の楽しい一時だ。乗ったバスが間違っていれば終点まで乗り、引き返してくることもできる。しかし、夜遅くなって泊まるところも決まらず、重い荷物を持って、右往左往するのは気分的に良くない。

 「人は一人では生きていけない」という言葉があるが、個人海外旅行は現地の人が頼りだ。言葉が満足に通じなくてもそれなりの意志疎通は出来る。自分の目的地を呪文のように唱えることも一つの方法だ。発音が悪く通じないときには、紙に書いて相手に示すのも一方法だ。
 言葉が通じない。情報を持っていない。嘘を教えられたと怒ってみても始まらない。知っている人を捜すことが先決だ。

 イタリア人は道を聞かれたら、必ず答えてくれる。その答えが正しいか、間違っているかは別の問題だ。結局何人かに聞いて、正しそうな方向を目指すことになる。
 ドイツで道を聞いたときには、自分が知らないと他の人に聞いてくれた婦人もいた。親切に対応してくれた人には感謝して別れることになる。

 交通機関の料金が高い国ではヒッチハイクも若者の旅行手段だ。しかし、問題は確実性に欠ける。乗せてくれる車がつかまらないことも当然ある。この方法は人の親切心にすがることになる。
 親切で車に乗せて貰い、コーヒーを飲ませてもらい、さらにお金まで貰ったこともある。車に乗せてもらって黙っているわけにはいかない。こちらも相手の退屈しのぎに話題を提供する必要がある。何処から来た、何処へ行く、旅行して得た感想を話すなど、努力も必要だ。
 

 2008年6月、私はタイ東北部イサーンの中央に位置する小都市ロイエトに滞在していた。町の中央に大きな公園がある。大きな池があり、中島がある。町の外周は堀で囲まれている。
 その日は町の郊外に点在するクメール遺跡を訪ねるためバスターミナルに行く。旅行者を見つけると男達がよってくる。そこで、行き先を話しどのバスが行くか確認を取る。しかし私の目的地へ行くバスはないとの返事だ。直接行くバスがないのか、それとも乗り換えれば行けるのかも不明であった。私は3箇所の目的地を聞いたが同じ返事であった。
 仕方なく諦めてホテルへ戻ることにする。歩いていると、小さな医院の前で老人に声をかけられる。「何処へ行くのか」と聞かれ事情を話す。私の目的としていた、クメール遺跡はかなり難しいようだ。そこで、ゴールデンパゴダの話をする。このパゴダはこの地でも有名な寺院だ。参拝者も多いと言う。

 教えられたように近くに停車していた、トラックバス(大型ソンテウ)に乗る。その車は田園風景の中を2時間余り走り、町のターミナルに到着する。しかし、私の目的地ではなさそうで、ここで待てと教えられる。田舎町のバスターミナルはバスは停車していない。ソンテウのみであった。

 結局は3台のソンテウを乗り継ぎ寺院の入口に着くことができた。時刻は12時近くになっていた。3時間以上かかったことに成る。しかし目的の寺院はここからさらに5km先である。歩いて1時間はかかる。下手をすると今日中にホテルへ戻れない可能性も頭をよぎる。
 この寺院の位置するところは県境に近く、隣県はラオスと国境を接するムクダハンである。かなり遠くまで来ていることを知る。

 歩き出して5分も立たない内に、ピックアップトラックが停まり英語で声をかけられた。「何処へ行くのか」と聞かれ、「チェディ」と答えると乗れと返事が返ってきた。車内には運転手の男と、3人の中年女性がいた。車に乗った後「何故歩いていたのか」と聞かれる。素直に「交通手段がなかった」と答えた。
 助手席にいる女性は英語が堪能であった。「何処から来たのか」と聞かれ、「ロイエト」と答える。彼らも今朝同じ町から来たとの返事であった。

 その日の私はなんと運の良い日であったろうか。それとも、なんと良い人に巡り会ったのであろうか。車で寺院の先にあるリゾート地を訪ね、その後、寺院内を観光する。山中にある寺院は広大な敷地を持ち、城壁で囲まれていた。その中心にあるのが目的のチェディで回廊に囲まれている。白色が基調のデザインで、縁取りが金色で施されている。
 チェディ内部は螺旋階段があり、最上部まで昇ることができる。窓にはステンドグラスのように、絵が描かれている。かなり新しい寺院であるようだ。そして建設費用は誰が寄進したのかを考えていた。

 パゴダ観光後、途中の町の市場にて買い物をした後、ロイエトへ戻ることにする。英語を話す女性は娘に会うためロイエトに来ており、二人の女性は軍の基地で働いていた。車を運転していた男性は昔の男友達と話していた。 彼らと共に軍の基地内に入る。この男性が途中の市場で購入した食材で、トムヤンクンを作り、みなで遅い昼食を取る。

 「情けは人の為ならず」ということわざがある。それは何処の国でも通じる人の感情であろうか。異国の地で、異邦人の私に情けをかけてくれる人がいる。無茶な貧乏旅行者を見かねて、救いの手を差しのべてくれる人がいる。それ故に私の旅は今でも続けられている。

チェディと回廊
チェディ正面
 
噴水
窓に描かれた仏陀

旅先で招待を受ける

 外国を旅行中に現地の人と知り合い、家や食事に招待されることは、そうあり得ることではない。ましてや、団体旅行をしている人にはまずあり得ないことだ。何処の国でも見知らぬ人を、家に招き入れるにはそれなりのリスクが伴う。招ねかれた方も相手の意図が分からなければこれも問題だ。一般的に誘われたからといって、安易に着いていくわけにはいかない。

 さらに、善意で外国人を家に宿泊させるにしても、時間的余裕と経済的負担も必要となる。日本においても寝る部屋を確保し、食事を提供し、休日であれば、観光案内をするなどそれなりの覚悟が必要となる。
 日本では最近他人を宅内に入れることを嫌う人が増加しているようだ。他人を家に入れるのは物騒だから、家が狭いから、掃除していないから等、それぞれの理由はあるようだ。友人、知人に関係なくその傾向がみられる。

 国際的に旅行者を個人宅に宿泊させる組織がある。これは相互扶助主義で成り立っている。以前は人の家に宿泊したので、今回は私が受け入れる。現在はインターネットで予約できる組織もあるようだ。 
 私の経験でも、多くはないが旅行中に何度か知り合った人の家を訪問し、宿泊する機会があった。外国の習慣、文化、生活を直接知るにはよい機会だ。信頼できる相手なら、招待されれば出向くことにしている。しかし、知人宅などに宿泊する場合は、相手の予定、許容範囲が問題になりそうだ。何日間ぐらいなら宿泊可能なのか、前もって確認することだ。
 

 シベリア鉄道でナホトカーモスクワ7日間を一緒に過ごした、スイス人宅に宿泊したことがある。知り合ってから2ヶ月後、ドイツに滞在していた私は、旅行でスイスを訪問、手紙で訪問する日時を連絡し、ルツェルン郊外にある集合住宅を直接訪ねた。そして、数日間泊めてもらった。
 彼が住んでいたのは市営住宅で、日本と比べ広い3LDKであった。まず日本との住宅事情の違いを知ることになる。この男には日本人の恋人がおり、彼女の部屋は四畳半なのか、真ん中に立ち一歩前に進んだら壁だと、日本の住宅事情を揶揄していた。
 昼間はルツェルンの観光地を案内してもらい、夜はレストランで食事、パブで酒を飲み、映画を見に行くなどずいぶん世話になった。

 ドイツ滞在中に知り合った知人宅にも訪問した。一人はフランス人で、ロワール地方の田舎町に住んでいた。私がオルレアンのユースホステルに滞在中、彼の家に連絡を取る。ホステルのペアレントが電話番号を調べてくれる。その後、知人は車でホステルまで迎えに来てくれた。
 彼の家は古い石造りの農家で、内部は外観と違い近代的に改造されていた。この家に住んでいるのは両親のみで、二人の子供は家を出ていた。私は空いている姉が利用していた部屋に泊まることになる。両親は共働きで、日中は不在、昼食は近くのレストランで食事、夕食は母親の手料理をご馳走になった。両親とは言葉は通じなかったが、歓待を受ける。

 ヨーロッパより日本へ帰国途中、トルコのイスタンブール郊外に住む知人宅を訪ねたことがある。当時は多くのトルコ人が西ドイツで働いていた。また語学研修を受ける人も多くいた。彼とはそこで知り合い、そして連絡先を教えてもらった。
 彼の兄弟が、イスタンブールで家電品販売店を経営しており、私はそこを直接訪ねた。私は店屋で兄に会い事情を話す。翌日知人の車で地方にある家を訪ねる。彼の家は地方の豪農で広い耕地を持ち、小作人を使い、家所有の海岸があり、ドイツ製の高級車を持つ。両親の歓迎を受け、さらに親戚のパーティーに出席する。そして、数日後彼と共にイスタンブールへ戻る。 

 イタリア北部の町ノビリグレからロンドンへ車で戻る途中、イギリス人同僚の家に宿泊したことがある。家は16世紀に建てられた石造りの古い家で、建物の前と後ろに広い庭のある自慢の家だ。室内をくまなく案内され、私は娘の部屋に泊めてもらうことになる。
 彼の家には妻、娘二人と、妻の父親が同居していた。娘達は日本人が来るとのことで、図書館から日本関連の本を借り、勉強していた。初めて話すであろう日本人を代表し、私は娘達の質問に答えることになる。
 

 2009年10月、ラオス北部を旅行中に滞在した村で、夕食に招待されたことがある。現地の子供達の写真を撮った関係から、毎年その地を訪ね子供達と再会している。今回も写真を渡していると、近付いてきた男がいた。彼は少女の父親で、そこで夫婦の写真も撮る。その後、彼は幾ばくかのお金を私に渡そうとした。しかし、それは丁重に断った。その代わりに、夕食に招待してくれることになった。
 私は約束の夜6時に家を訪問した。しかし食事の準備はできていない。階段を上がったベランダで湯を飲み、外を眺めながら待つ。夕闇が迫り、近所の招待された人も集まってきた。部屋の中央には蛍光灯が吊されている。その下に竹で編まれたちゃぶ台と低い椅子が置かれている。7人でテーブルを囲み食事となる。

 ところが、一つしかない蛍光灯が突然点滅しだし、ついに消えた。仕方なくテーブルにローソクをたてる。その後、15歳の息子が友人と川に設置された発電機の修理に出かけた。
 鶏肉の煮物、魚の煮付け、野菜のスープをご馳走になり、地酒ラオラオを振る舞われる。その後、中国製ビールの回しのみが行われた。言葉は満足に通じないが、手振り身振りで、お互いに意思疎通を図る。私の国や年齢を聞かれそれに答える。しかし相手は本当の年齢に納得していなかった。そして、家に泊まってもよいと話してくれた。

 村人の家に泊めてもらうとしても、電気の供給もない、狭い高床式の住宅事情からして雑魚寝だ。蚊帳はありそうだ。シャワーはないから、川で沐浴だ。洗顔は、トイレはどうなっているのか。井戸から水汲みも必要だ。食事はどうするか、これが一番問題だ。謝礼はどうするか、疑問が多すぎる。
 現代の我々とは衛生観念もかなり違う。食堂などで利用されているコップは洗わず使い回されている。日本で当然になった肝炎対策は習慣化されていない。

 この村ではほとんどの人が自給自足の生活をしている。多くの村人は水田を持ち、水牛や黒豚を飼い、鶏と七面鳥を飼っている。川沿いには竹柵で囲われた、野菜畑がある。ウー川では魚が捕れる。そこで村内には肉や魚を売る食料品店は存在しない。日用品を売る雑貨屋があるのみだ。しかし、夕刻になると道路脇に村人が持ち寄った、野菜や魚を売る小さな市が立つ。
 食堂は数軒あるが主に米粉で作られたソバが供される。ゲストハウスの食堂には肉類が貯蔵されているが、村人の利用は少ない。当然メニューもない。しかし、この村の生活はまだ恵まれている。高地に住む山岳民族は米も採れず、食糧の確保などもっと悲惨だ。

 今回のラオス旅行中に、同じバスに乗り合わせたフランス人の青年と話す機会があった。彼はラオス山岳部を徒歩で旅行している。川を手こぎのボートでさかのぼり、中国、ラオス、ベトナム国境の交点まで行ったことがある。今回もビエンチャンで30日間の旅行者ビザを10日間ほど延長し、ラオス北部に移動してきた。
 彼の旅行方法は山岳部の集落を訪ね、個人宅に宿泊し、食事の提供を受ける。この場合は誘いを受けるのではなく、押しかけ滞在だ。西欧人である彼を歓迎してくれる地や、そうでない所もあると話していた。これは村人の親切に頼る、究極的な旅行方法だ。昔は行商人、荷物を運ぶキャラバン隊など、ごく当たり前の旅行方法だった。
 

 しかし、若い女性の一人旅では問題が発生している。若い日本人女性が旅行中に現地の人に誘われ、事件になった話も聞く。タイ、チェンライでの出来事だが、寺のお坊さんに誘わた女性が宿坊に宿泊した。ところが、深夜その坊さんが襲ってきた。これはずいぶん罪深い話で、女性が無知なのか、それとも坊さんが煩悩に負けたのか、理解に苦しむところだ。
 タイ仏教の戒律ではお坊さんは女性に触れてはいけない。日常生活でも女性が触れないよう、列車、バスなどでそれなりの配慮がなされている。この出来事は女性が事件として問題化し、大衆の知るところとなる。最終的にこの坊さんは僧籍を剥奪されたという。
 ところで、この女性がなぜ宿坊に泊まったかというと、宿泊費の節約だったという。身の危険と、金銭的負担は別の次元と思われるが、残念なことだ。

 親切にしてくれたタクシーの運転手を食事に誘い、襲われそうになった話も聞く。多くの国では男女が食事を共にし、ホテルの部屋を訪問することは親密な関係を了解したと理解される。どこでも女性が男性に食事を誘われ、それを受けることはそれなりの覚悟が必要となる。日本で当たり前になっている、食い逃げは許されない。外国旅行で文化の違いを理解していないと、相手に無用な誤解を与えることになる。
 海外旅行中に現地の人と交流を持つことはよいことに違いない。しかし、安易に相手の誘いに乗ると、危険が潜んでいることも十分理解する必要がある。

水田と水牛
村内への道
 
部落 水田と農家
 
食事の参加者 空中菜園

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