貧乏旅行の話

32.インドネシア、ジャワ島の旅

ジャワ島概要

旅行事情

ジャワ島周遊

巡礼者に出会う

ジャワ島概要

 ジャワ島はインドネシア共和国の歴史、経済、文化、地理的にも中心的な地域である。ジャワ島はボルネオ島の南に位置し、南半球に位置している。東西約1000キロメートル、南北は200キロメートル余りで長方形の島である。ジャワ島の東側はバリ島、西側はスマトラ島、南側はインド洋に面している。
 ジャワ島はバンデン、西ジャワ、中央ジャワ、東ジャワ州に区分されている。首都ジャカルタ、ジョクジャカルタが特別区に分かれている。

 ジャワ島の面積は13万2千平方キロメートル、人口は1億3千4百万人とかなり多い。人口密度は平方キロメートルあたり千人余りだ。日本の2倍以上である。ちなみに、日本の本州面積は22万8千平方キロメートル、人口は1億300万人、人口密度は平方キロメートルあたり452人である。しかし、日本の場合70パーセント余りは山や森林なので、30パーセントの土地に人々は住んでいる。インドネシアも同様な状況にある。(人口は2011年推計)

 今回私が旅行して感じたのは、かなり自然や社会環境が日本と酷似していることだ。それに人口密度が高いのも同様だ。住宅街では狭い路地の両側に家がびっしりと並ぶ。庶民の住む地域は山の斜面、川沿い、谷などにも家が建てられている。当然自然災害に弱い場所だ。
 ジャワ島は東西に細長い島で、ユーラシアプレートの境界線上にある。そのため火山噴火、地震、津波などの自然災害に見舞われてきた。一番高い山はセメル山で標高3676メートルである。今回私の旅行中にもメラピ山の噴火が続き、土石流で幹線道路が通行止めになっていた。

 現在の宗教はイスラム教徒が多いが、16世紀以前は仏教、ヒンズー教が栄えていた。現在もそれらの遺跡が各地に見られる。代表的な遺跡としてはユネスコ世界遺産に登録されたボロブドールやプランバナンがある。
 17世紀初頭からオランダの植民地となり、第二世界大戦時は日本軍により統治される。戦後オランダ人により再統治されるが、1945年から1949年独立戦争が起きる。

 1997年アジア通貨危機を発端とする、経済危機から動乱が発生する。多数の中華系住民が略奪されたり、レイプされたり、暴行や殺害された。1998年5月、33年間続いた、スハルト政権が崩壊する。これらの混乱も現在は落ち着いてきているようだ。しかし現在も経済的には華僑の力が大きい。 
 インドネシア共和国は中国、インド、アメリカに次ぐ人口、2億4500万人(2011年推計)を有する世界4番目の大国だ。平均個人年間所得は$4200米ドル余りである。ちなみにタイ王国は$8700米ドル、日本は$34000米ドルである。(共に2010年推計)
 

旅行事情

 観光ビザ
 2004年2月からインドネシア入国には、観光ビザの有料取得が義務づけられた。空港などで購入できる観光ビザは2種類ある。30日間滞在可能なビザは$25米国ドル、7日間滞在可能なビザは$10米国ドルである。それ以上滞在希望の場合には、領事館などで前もってビザを取得する必要がある。国内でのビザ延長は不可能らしい。また、インドネシア入国には出国用の航空券や乗船券が必要である。(観光ビザ取得時に提示を求められる。)

 通貨、両替
 インドネシアの通貨単位はルピア(Rp)、日本円1円が約100ルピアに相当する。
両替レートはジャカルタの空港で$1米国ドル=9000ルピア($100紙幣)
銀行両替で1米国ドル=8925から8800ルピア
トラベラーズチェックの両替は銀行にもよるが、数パーセントの手数料が取られた。
(2011年1月、2月現在)
 
 交通機関
 ジャワ島内の交通機関は長距離移動は航空機、鉄道、またはバスが一般的だ。鉄道はエグゼクティブ、ビジネス、エコノミーの3等級があり、エグゼクティブ以外はエアコンが装備されていない。鉄道が電化されているのはジャカルタ近郊のみであった。ジャカルタなどの大都市では、市内バスなどの交通機関の混雑が激しい。タクシー、ミニバン(アンコット)などがある。地方都市ではペチャが利用されている。

  今回の旅行ではビザの関係でジャワ島に3週間、スマトラ島に1週間の滞在を予定した。ジャワ島からスマトラ島北部へは陸路移動も考えたが、日程的にかなり難しいことが解る。そこでジャワ島西部の首都ジャカルタより列車、バスなどで東部に移動、スラバヤまで行き、ここよりスマトラ島北部のメダンへ飛ぶことに決める。時間、費用的にも航空機利用が有利である。

インドネシア旅行ではバスなどで、切符の発券がない乗り物ではぼられることが多い。これらを防ぐ方法は料金などの予備知識を前もって持っている必要がある。ぼる手法は運賃の支払が後払いなのに、先に請求したりする。

 治安
 インドネシアは貧富の格差が大きく、治安の悪さも度々現地の人々から指摘された。スラバヤの観光案内所では路線バスはスリなどがおり危険なので、タクシーにて空港へ行くように助言された。
 マランから普通列車にてスラバヤ到着直前に、前に座っていた人が首にナイフを当てる動作をして、コタ地区は強盗が多いので注意するよう忠告してくれた。
 外務省の海外危険情報では首都ジャカルタ、バリ島を含め「十分注意してください。」が発令されている。

 旅行シーズン
 今回私が旅行したのは2011年1月中旬から2月上旬であった。旅行シーズンと思っていたが、旅行者はかなり少なく感じた。例外は近郊にユネスコ世界遺産のボロブドール、プランバナンがあるジョクジャカルタである。それ以外の所では外国人観光客は少なく、ましてや日本人旅行者には出会わなかった。
 今回旅行した1月と2月のジャカルタの天候は雨期に当たり、平均雨量は350ミリ、最高平均気温は30度である。雨は降るが気温は年間を通じて一番低い時季であった。

 宿泊施設
 前回の2004年1月、カリマンタン島旅行でも感じたことだが、インドネシアの宿泊施設はタイなどと比べ、料金は高く設備も良くない。
 今回宿泊したホテルの最高額はセマランのビジネスホテルでエアコン、洋式便座、お湯シャワー、小型テレビ、朝食付きで、20万ルピアであった。最低額はジョクジャカルタの安宿、マンディー(溜置き水を洗面、沐浴、トイレに利用する方式)付きで4万ルピアである。その他の宿泊費は12万ルピア前後で、マンディー付き、しかしこれより安い部屋はマンディーが無く、扇風機もつかない。テレビなどは論外だった。タオル、石けん、トイレットペーパーなどのアメニティは無いところが多かった。マンディーは一般的にお湯の供給はない。
 マンディーではボウフラが沸き、蚊に悩まされることになる。マラリヤ、デング熱には十分注意が必要だ。

 衛星放送の対応も安宿ではほとんど無い。英語放送などで国外情報を得るのは不可能である。インターネットは外国人観光客が宿泊する施設には完備されているが、その他の安宿には設備されていなかった。しかし、マクドナルドなどでWi-Fiが利用できる。インターネットカフェもあるが、料金徴収問題でパソコンの持ち込みは不可能なところが多い。

 食事
 中級のレストランで肉、魚などの主菜と米飯、ビール大瓶で7万から8万ルピア。昼食はナシゴレン(焼き飯)と紅茶や水などの飲み物で、2万ルピア前後。
 ビールは大瓶で2万5千から3万ルピアぐらいする。レストランによっては宗教的な関係で、ビールの提供がないところも多い。また屋台などで食事する場合は注文する前に料金の確認が必要だ。

 日本からの航空運賃
 日本からインドネシア、ジャワ島のジャカルタ、バリ島のデンパサールへ直行便が飛んでいる。その他クアラルンプール、シンガポールなどの経由便は多数ある。
 滞在期間が短ければ安い航空券が手に入る。しかし1ヶ月を超える旅となると、大手航空会社では9万円前後の費用がかかる。出発1ヶ月前に調べた運賃では全日空の東京、デンパサール往復、24日間、49540円が一番良さそうだった。
 いろいろ調べた結果、結局は格安航空会社エアアジアを利用することにした。合計料金は6万3千円、この航空運賃には3回の軽食および飲み物、預け入れ荷物15kg、追加保険料、空港使用料、手数料(クレジットカード支払い)が含まれている。

 今回の旅行ルート
Tokyo - Kuala Lumpur - Jakarta
Surabaya - Medan
Medan - Bangkok
Kuala Lumpur - Tokyo

 時差、その他
 ジャワ島は日本時間に対し2時間遅れである。インドネシア共和国は東部、中部、西部で各1時間の時差がある。
一部の観光地では外国人料金が請求される。ボロブドールの入場料は15米ドル、プランバナンは13米ドル。
 英語が通じずカリマンタン島旅行では苦労したが、ジャワ島では観光施設などで問題なく通じる。ジョクジャカルタのクラトンなど、日本人が多く訪ねる施設では日本語ガイドもいる。
 

ジャワ島周遊

Haneda -(航空機)- Kuala Lumpur -(航空機)- Jakarta
Jakarta -(電車)- Bogor -(バス)- Bandung -(バス)- Cirebon -(列車)- Semarang -(バス)- Ambarawa -(バス)- Dieng Plateau -(バス)- Borobudur -(バス)- Yogykarta -(列車)- Solo -(列車)- Malang -(列車)- Surabaya
Surabaya -(航空機)- Medan

 ジャカルタ
 ジャワ島の西部、インドネシアの首都、人口890万人。
 スカルノハッタ国際空港より路線バスにて、町の中心にあるガンビル駅へ向かう。運賃2万Rp。駅より歩いて公園(Merdeka Square)の南側に位置するジャランジャクサ地区へ移動する。この地区には外国人向けの安宿が点在する。周辺にはレストラン、銀行もあり便利だ。

 ジャカルタ滞在中に訪ねた観光施設は、国立博物館、オランダ人墓地(Taman Museum)、その後旧市街コタにアンコット(ミニバン)にて移動する。旧市役所周辺のジャカルタ歴史博物館、ワヤン博物館、監視塔などを見学した。その後バスで南に移動し、メルデカ公園の北東部にあるモスクとカソリック教会を訪ねた。
 コタ周辺は土曜日の午後のため、地元の観光客でかなり混雑していた。周辺では結婚式、モデルの写真撮影を楽しむ人々が多く見かけた。メルデカ公園も催し物があり住民で混雑していた。

メルデカ公園とビル
Arjuna Statue
 
ジャカルタ歴史博物館
オランダ人墓地
 
国立博物館
ジャランジャクサの子供

 ボゴール
 西ジャワ州、ジャカルタの南に位置する山間の町、人口83万人。
 ガンビル駅より急行列車で約1時間。車両は日本製のステンレス製、ベンチシート、冷房付きの通勤電車である。運賃1万1千Rp。この区間は電化されている。町の中心には1817年に開園された、広大な植物園、大統領宮殿、博物館がある。

 私の宿泊したゲストハウスの正面に大きな山が見え、手前の低地にはオレンジ色の民家の屋根が並んでいる。植物園を見学した後、ゲストハウス近くから住宅街へ通じる階段を降りる。階段の両側にぎっしり家が立ち並ぶ。道幅はバイクが通れる程度で、インドネシアは路地の文化であることを知る。

大統領宮殿
植物園
 
ゲストハウスからの眺め
住宅街

 バンドン
 ジャカルタの南東に位置する、西ジャワ州の州都、1955年にアジア、アフリカ会議が開催された都市である。人口250万人。
 ボゴールのバスターミナルから、エアコン付きバスで約3時間であった。運賃4万Rp。途中景色が美しい山間部を通過するが、雨で視界不良であった。

 現在会議場は博物館となっていて無料で見学できる。若い女性が英語で説明してくれた。また会議場としても利用されている。町の北東部には地質学博物館がある。ここも無料であった。町の北部には森林公園のダゴ地区がある。
 会議場近くには2軒の大規模高級ホテルがある。これらのホテルの宿泊料金は70万ルピアからと、高級ホテルの宿泊費としてはかなり経済的だ。

バンドン駅
モスク、Alun Alun
 
国際会議場、Gedung Merdeka
内部展示

 チルボン
 バンドンの東に位置する西ジャワ州の町、ジャワ海に面したイスラム王朝時代の小都市である。人口23万人。
 バンドンの北部バスターミナルより午後のバスで移動する。運賃3万5千Rp。山間の一般道を走り、約4時間だった。
 16世紀後半に建設された、4カ所のチルボン王朝時代のクラトン(王宮)が残る。現在も王族の関係者が住んでいる。各施設は小規模で、内部を見学できる物は少ない。

チルボン駅
クラトン
 
物売り
モスク

 スマラン
 中央ジャワ州の州都、ジャワ海に面した港町、オランダ植民地時代の建物などが残る。人口140万人。
 チルボン駅より10時35分発の列車に乗る。運賃はビジネスで7万ルピア、約4時間だった。駅近くのホテルは満室で、旧市街を通り、歩いて宿を探す。ビジネスホテルに宿泊する。
 旧市街には中国人街、中国寺院、カソリック教会などがある。

市街地
教会、Gereja Blenduk
 
中国寺院、Tay Kak Sie
モスク

 アンバラワ
 中央ジャワ州の町、スマランの南28kmに位置する商業都市である。人口8万7千人。
 ホテル前で、バスを捕まえる。途中バスを乗り換え標高千メートルのリゾート地、バドンガンで下車する。約1時間、運賃1万Rp。ゲストハウスに荷物を置き、アンバラワへ山を下る。町外れにかつての駅(Koening WillemT)が鉄道博物館になっている。駅構内には蒸気機関車21機が展示されている。線路も残されていて予約すれば列車に乗ることも可能だ。現在もドイツ製の蒸気機関車と、ジーゼルカーが車庫に動体保存されている。

 ウンガラン山中には、8世紀に建設された、9カ所の小規模なヒンズー寺院群がある。幹線道路より雨の中バイクで急坂を遺跡入口まで上る。雨は小降りになったが霧で遺跡がかすんでいた。山中の谷に蒸気が噴き出しており、温泉施設、プール状の物がある。途中若いインドネシア人カップルと出会い、行動を共にする。ここでは馬に乗り遺跡を回ることができる。
 遺跡見学後バスの通る幹線道路まで、約4キロメートルを風景を楽しみながら歩いて下る。周囲は花卉などの植物栽培がされている。ミニバンを捕まえバドンガンへ戻る。

鉄道博物館
展示室
 
蒸気機関車
駅舎
 
ヒンズー寺院、Gedung Songo
ヒンズー寺院

 ディエン
 中部ジャワの標高2100メートルの高地。周辺には火口湖などが点在する。
 平原の中央に、小規模なジャワ島最古のヒンズー寺院群、周辺には400基以上が存在する。これらは8世紀から9世紀に建設された物である。

 バドンガンから、アンバラワ、ボノソボとバスを乗り継ぎ、ボノソボから小型バスに乗り山を登る。約4時間、運賃は合計3万3千Rp。途中には村が点在し、周囲は高原野菜の畑である。
 安宿のマンディーなしの部屋に泊まる。しかし、空室のガス瞬間湯沸かし式シャワーが利用できた。高地なので夜はかなり涼しくなる。

ヒンズー寺院、Arjuna Complex
火口湖、Telaga Warna
 
ディエン高原
ディエン高原

 ボロブドール
 ジョクジャカルタの北西部に位置する、シャイレーンドラ朝時代の、西暦750年から850年に建設された仏教遺跡である。基礎部の一遍が118メートルあり、高さは42メートル。2百万個の石で階層状に組まれた仏塔。下部の6回廊には仏像と彫刻レリーフが刻まれ、上部の円形3階層には72体の仏像が配置されている。
 その後仏教の衰退により忘れ去られ、火山灰に覆われていたが、1815年発見された。20世紀の初頭にオランダにより修復される。1973年から1983年にかけて、ユネスコにより2500万米ドルの資金で再修復される。1991年ユネスコ世界遺産に登録された。

 ディエンよりボノソボ、ブロンドでバスを乗り継ぎボロブドールに入る。約4時間、運賃は合計で2万9千Rp。バスターミナルではペチャの客引きが激しい。彼らはゲストハウスに客を連れて行くと、手数料がもらえるようだ。到着日はペチャを2万5千ルピアでチャーターし、周辺にある仏教遺跡2ヶ所を訪ねる。翌日の早朝6時、朝食も取らず、暑くなる前に遺跡を訪ねた。

 ボロブドール村のゲストハウスやホテルに宿泊した人に対し、遺跡入場料13万5千ルピア($15米ドル)から2万ルピアの割引が受けられる。

ボロブドール寺院
ボロブドール寺院
 
遺跡上部
仏像
 
レリーフ
Candi Pawon

 ジョクジャカルタ
 中央ジャワ州の東に位置する特別区である。インドネシアの芸術と文化の中心的な地とされる。人口70万人。
 近郊にボロブドールやプランバナン遺跡があり、外国人観光客の滞在が多い。市内にはクラトン、博物館などがある。それらの施設で、ワヤン(影絵芝居)、人形芝居、ガムラン音楽などを観賞できる。

 ボロブドールのバスターミナルよりジョクジャカルタ行きのバスに乗りバスターミナルへ向かう。その後路線バスに乗り換え、駅の南側に位置するソスロウイジャヤン地区へ行く。約2時間、合計運賃は1万3千Rp。この地域は路地の両側にホテルやゲストハウス、ロスメン、レストランが建ち並んでいる。

 プランバナン遺跡は8世紀から10世紀にかけて建設された、ヒンズー教遺跡群である。ジョクジャカルタ中心から遺跡へは路線バス1Aにて行くことができる。バス運賃3千Rp。入場料$13米国ドル。プランバナン遺跡は大規模な3基の仏塔からなる。

クラトン入口
クラトン内部
 
モニュメント
ワヤン(影絵芝居)
 
プランバナン寺院
Candi Sewu

 ソロ
 中央ジャワ州のジャワ島人(Javanese)の伝統、文化的な中心地。人口56万人。
市内にはマタラム王国のクラトンや博物館などがある。
ジョクジャカルタ、ソロは多くの区間列車が走っている。約1時間、列車運賃は9千Rp。 

 ソロ市の東部、郊外にあるヒンズー教遺跡スクーを訪ねる。遺跡はラウ山、標高3265メートルの中腹に位置する。この遺跡は15世紀に建設された。ホームステイ先の男に行き方やバスの時刻を確認すると、説明はころころ変わった。要は自分のバイク利用で、料金を取りたいらしい。料金は14万ルピアと話す。しかし長距離のバイク乗車は、危険なのでやめることにする。
 朝一番に朝食を済ませ、歩いて駅北部にあるバスターミナルへいく。停車していたバスに乗り、東部の町カランパンダンのバスターミナルにて下車する。約1時間、運賃5千Rp。ここでミニバスに乗り換える。運賃3千Rp。遺跡入口の道路で下車、バイクまたは徒歩で急坂2キロメートルを上る。

スクー遺跡
スクー遺跡
 
スクー遺跡
スクー遺跡
 
モスク、Mesjid Agung
モニュメント

 マラン
 東ジャワ州の州都スラバヤの南に位置する。18世紀にオランダ人により建設された街、学園都市、人口76万人。

 ソロよりマランへ列車、またはバスで直行できるか調べる。ところが午前中の直行便は列車、バス共にないようだ。列車は深夜3便あり、バスも夜行便しか無くあきらめる。残された方法は、急行列車にてスラバヤへ行き、乗り換えて普通列車でマランへ入ることにする。翌朝8時10分発の急行列車に乗る。乗車時間は約4時間、ビジネスクラス運賃は6万Rp。その後普通列車にてマランへ移動する。乗車時間は約3時間、運賃は4千Rp。

 軍事博物館、タウンホールなどがある。郊外にはヒンズー教遺跡や仏塔などがある。

庁舎
教会
 
Candi Singosari
仏塔、
 
駅前通
Alun Alun

 スラバヤ
 東ジャワ州の州都、近代的な大都市で南部はオフィス、商業ビルなどがある。北部のコタ地域は中国人、アラブ人街がある。人口240万人。

 マランからスラバヤへ早朝の普通列車にて移動する。約3時間、運賃は4千Rp。車内は通勤客でかなり混雑していた。しかし途中で席を確保できる。コタ駅で列車を降りるさいに、前の席に座っていた男性からコタ地域は治安が悪いので十分注意するよう促された。そしてナイフで首を切られる動作をした。

 コタ地域にあるタバコ会社、サンポエルナが運行する無料観光バスツアーがある。約2時間の短いツアーだ。訪問する場所は独立記念塔、歴史的な建物などである。私以外はインドネシア人の男性7人だったので、女性のガイドが英語とインドネシア語で説明してくれた。
 出発地のたばこ工場では手作業で箱詰めがされている。敷地内にはタバコに関するミニ博物館、アートギャラリー、カフェレストランが併設されている。

サンポエルナ、タバコ会社
Tugu Pahlawan
 
Tugu Pahlawan
ソ連製潜水艦

巡礼者に出会う

 旅の目的は何であろうか。風景や自然を楽しむことか、歴史や文化を知ることか、知らない人に出会うことか。私の旅の目的とは違う人々に今回は会うことになった。そして人の世は日常の定まった生活と、非日常な偶然で物事が進んで行くことも自覚することになる。

 宿泊しているソロのホームステイを7時前に出発し、通勤の車で混雑した道を歩いて町北部のバスターミナルへ向かう。ここより東部の町カランパンダンへ大型バスに乗る。乗客は通勤、通学客だ。田園地帯を1時間余り走りバスターミナルに到着した。停車したバスの傍に駐車していたミニバスに乗り込み、スクー遺跡(Candi Sukuh)に向かう。ここから道は標高3265メートルのラウ山に向かって山を登り始める。山の中腹の舗装された道路脇には民家が点在している。
 バスの左手は遙かに平地が広がる、風景を楽しみながらバスに乗っていると、偶然右手に遺跡の案内表示が目に入った。それはチェト遺跡(Candi Cetho)±5kmと書かれている。自分の目的地スクー遺跡を通り過ぎたようだ。すぐにバスを止め下車する。

 ミニバス乗車時に私の目的地を車掌に話したのだが、車掌は忘れたようだ。仕方がない。歩いて遺跡の入口まで戻る。周囲の写真を撮りながら、どうするか迷っていると、ミニバンがチェト遺跡から山を下りてきた。手を挙げると私の傍を通り過ぎて停車した。私が英語で話しかけると日本語で答えが帰ってきた。車内にはルンギー(インド風腰巻き)を身につけ、頭に白いターバンを巻いた7人の白装束の男が乗っている。私は見かけない彼らの服装に戸惑いを感じた。しかし彼らはスクー遺跡へ行くところだった。私は車に乗せてもらい遺跡へ向かう。

 日本語を話す小柄な男は仕事で何度か日本に行ったことがあると話した。いろいろ話を聞いていると旅行代理店に勤めている。車に乗っている男たちはその会社の社長と、社員達だった。彼らはバリ島に住んでいて、今回は1週間の予定で、ジャワ島各地のヒンズー教遺跡を訪ねている最中であった。いわゆる巡礼者達である。インドネシアではヒンズー教遺跡や聖地を訪ねる巡礼が行われているらしい。

 舗装された急な坂道をラウ山に向かって上っていき、スクー遺跡に到着した。スクー遺跡は山門(ゴプラ)、参道、四角錐のピラミッドで構成される。参道の両脇には彫刻を施した石が並べられている。遺跡周囲は緑豊かな山中で、観光客も少なく、静かだ。
 私たちは参道を進み、祭壇らしく石積みされたピラミッド状の遺跡上部にあがる。ここで儀式を行う。私も参列することにする。履き物を脱ぎ、あぐらをかき、手を前に組む。各自の前に花などで構成されたお供えが配られる。線香が焚かれ、しばし目を閉じ祈りを捧げる。そして各自に聖水が与えられた。それを手で三度受け、口に含み飲み込む。
 ヒンズー教寺院はインド各地で訪ねたことが何度もある。しかし儀式に参列するのは今回が初めてのことだった。今までの私はあくまでも異教徒として、彼らの行いを観察していた傍観者に過ぎない。しかし今日の私は彼らに敬意を表すために同席した。

 ジャワ島におけるヒンズー教は、インド人の交易と共に持たらされ、繁栄したものである。現存する遺跡は8世紀から15世紀にかけて建設されたものだ。ジョクジャカルタ近郊のプランバナン遺跡、ディエン高原にあるヒンズー教遺跡群、ソロ周辺のスコー、チェト遺跡、マラン周辺の遺跡、ウンガラン山中にあるゲドンソンゴ(Gedung Songo)などである。規模的にはプランバナン遺跡とその周辺の寺院群が大きい。その他の地域の遺跡は小規模な物が多かった。
 その後イスラム教が勢力を増し、ジャワ島におけるヒンズー教は衰退する。しかし、バリ島におけるヒンズー教は生き残った。そして独自の発展をする。現在はヒンズー教徒が増えていると話していた。
 

 私が夕刻ソロ市内の宿泊施設に戻ると、昨夜宿泊していた西洋人の青年と宿の男が宗教の話をしていた。彼はインドネシアにおけるイスラム教徒の意識を確認していた。ジハード(外への聖戦)はイスラム教徒の義務であるのか。貴方もそれに従うか。など男に問うていた。男はそれに対し当然だと答えていた。
 ヨーロッパにおいて若い世代は宗教離れが激しいと青年は話した。そして貴方はどうかと私に問いかけてきた。私は日本における宗教事情を話した。

 日本には仏教と神道の二大宗教があり、その他に新興宗教が存在している。日本におけるキリスト教徒は人口の2パーセント程度である。イスラム教徒はごく少数である。そして仏教はジャイナ教と共に殺生を慎む教えであること。多くの日本人が宗教を問われると、無信心と答えるが、実際は日本の社会が宗教的慣習で動いていること。それは各自の意識とは別に根深く存在していること。自覚のある無神論者は限られること。ヨーロッパも同様であろうと青年に意見を仰いだ。
 そして、最後に付け加えた。第二次世界大戦は現人神天皇の元に戦われたこと。また死を覚悟した、特攻戦などが行われたこと。それはイスラム教のジハードに通じるところがあることを話した。

 人類の歴史は戦争の歴史であり、殺戮の歴史である。宗教も大きくそれらに関わっている。多くの宗教は異教徒に排他的である。いつの時代も為政者は宗教を利用し、人心の利益誘導を計ってきた。科学が如何に発展しようが、人間性が進歩するわけではない。人間の醜さは今後もそれに代わりはないであろう。それ故に宗教が存在しているのであろう。また、それも宗教の限界なのである。

チェト遺跡入口
山門(ゴプラ)
 
スクー遺跡
遺跡上部

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