貧乏旅行の話

14.無料施設に泊まる

無料施設に泊まる

貧富の格差について

無料施設に泊まる

 旅行で費用が一番かかるのはやはり毎日利用する宿泊施設である。誰でも安く旅行しようとすると宿泊レベルを下げることになる。ホテル、ペンション、ゲストハウス、ユースホステル、アルベルゴ、ロカンダ、旅社、旅館、民宿等と国によって呼び名の違いはあるが宿泊施設の規模や等級を表している。
 この宿泊費と食費を如何に抑えるかが貧乏旅行の基本であるが「無料」とは行かない。しかし世の中には生活困窮者などに無料宿泊施設を提供している機関がある。ヨーロッパなどではキリスト教系の慈善団体が運営している施設だったりする。

 1974年4月私はイタリア中部を旅行していた。花の都と呼ばれるフィレンツェに3泊した後、午後には西方に70km程離れた斜塔で有名なピサへ移動する予定にしていた。ユースホステルより直接駅へ向かい荷物を預けた。何故か最後に残ったメジチ家のウフィツ美術館へ駅より歩いて行く。美術館が開くのは10時からで、入口にはユースホステルで知り合ったアメリカ人の青年がいた。彼と話しながら時間になるのを待つことにする。

 朝一番で行けば有名な美術館でも比較的に空いており、ゆっくりと教科書に載っていた絵画を観賞できる。その日は何時もとなく良い日であった。余りにも有名なボッティチェルリが描いたビーナス誕生の前で日本人の小柄な若い女性に出会う。彼女は大学生で、西ドイツとの交換留学生であった。ドイツでの休日を利用し他の学生と共にイタリアへ観光に来ていた。
 私達は美術館を一緒に見学した後、大学の食堂へ食事に出かける。何処の国でも学生食堂は安く、量も多く、パンも食べ放題で、イタリアではワインも飲むことが出来る。休日以外は開いていて、若い旅行者にも開放しているので良く利用していた。その後数カ所の美術館を見学した後、彼女はピサへ行く私を駅のプラットホームで見送ってくれた。そして日本で再会することを約束し別れることになる。

 夕刻ピサ駅に列車は少々遅れて到着する。駅前でバスの車掌にユースホステルの場所を聞く。ところがその男はピサのホステルは閉まっていると言う。そして親切にも他のホステルを教えてくれる。指示されたバスに乗り"Marina di Pisa"に向かった。そのホステルは名前の通り海に面したところに在るらしかった。夕闇が迫る中をバスは町から10数キロ離れた田舎町に到着する。海水浴には季節外れで静かなところであった。
 唯一開いていたカフェ近くで道を尋ねた青年の車にてホステルへ向かう。歩いて行くには遠すぎるようだ。ところがやっと着いたユースホステルの中から出てきた家族の話では夏のシーズンしか開いていないと言う。そして残酷にもピサへいけと言う。仕方なく私は先の青年の車にてバス停へ戻ることにする。

 バス停にはこの町に来た時のバスが幸いにも停まっていた。私一人しか乗客がいないバスが動き出しピサへ向かった。再度ピサ駅前に着き宿泊する場所を運転手に相談する。
 「安いところが良いか」と聞かれ、もちろん私は即座に「シー」と答えた。
 更に無料施設があるという。それは願ってもないことだ。私はまた「シー」と答えた。
 その運転手が教えてくれた住所と名前を頼りに駅より暗い路地を歩いていく。三人の少年に会い確認のため道を聞く。一人の少年が地図を書いてくれる。しかしこれが真っ赤な嘘であった。道に迷い町中の地図を見ていると一台の車が止まってくれる。探している場所を話すと親切にその施設まで乗せてくれる。時刻はとうに9時を廻っていた。

 その施設の入口で応対した中年の女性に訪問した趣旨を説明した。するとパスポートを見せろと言う。その後無事に今夜横になれるベットが私に与えられることになった。長方形の味気ない大きな部屋の両壁に沿って30台余りの鉄パイプ製の粗末なベットが等間隔に並んでいる。
 ピサに着いてから5時間余りが経ち、何も食べ物を口にしていない私は空腹を感じていた。先の婦人に食事が出来る場所を訪ねると施設の前にレストランがあると教えてくれる。泊まるところが確保できたことの安堵感で、遅い食事とグラスワインを味合いながらゆっくりと食する。

 その施設の名前は"Dormitorio Pupplico"、場所は"St S.Bernardo"、その日はイタリア人の老人と軍人らしき人々が宿泊していた。家なき民か旅人か、服装もみすぼらしい、外国人は私一人であった。
 今まで宿泊したことのない異質な施設の堅い人型に変形した藁マットの上で、熟睡できずに私は夜中に魘される。老人達の発する咳や鼾の中でこのベットに今まで如何なる人物が横になり、そして去って行ったことか。私は薄暗い天井を見上げ、旅人である自分を、今後の自分の人生を思った。

 朝には窓際近くのテーブルにコーヒーとパンが用意されていた。しかし私は食べる気持ちが起きなかった。寝不足ではあったが、朝8時に施設を出て駅に行く。荷物を預け、その後カフェに行き朝食を取る。更に歩いて大通りをピサの斜塔に向かった。斜塔の最上階まで登り外の景色を眺めながら、昨日起きた出来事を日記帳に認めることにした。

フィレンツェの町
メジチ家
 
ピサの斜塔
ビーナス誕生

貧富の格差について

 アジア諸国を旅行していて強く感じることがある。社会制度に関係なく貧富の格差があることだ。世界の最貧国と名指しされる国々もアジアには多い。都会にいるとその国の富裕層と底辺の人々の暮らしの違いが大きく見えてくる。これは興味深い。そしてその国の底辺の人々がどの様な生活をしているか垣間見るのも旅の良い経験だ。訪れた国の山河や海の美しい景色とは別に考えさせられる面もまた多い。
 しかし金銭的や物質的に恵まれて無くとも貧しく感じさせないこともある。大自然の中で昔ながらの生活を維持している人々を見ていると、人間の長い歴史の営みを感じさせてくれる生き方だったりする。

 現在の貧富の尺度は西洋的な経済尺度に過ぎない。便利で、金があり、物を持てることが豊かな生活とされている。何処の国の都会でも西洋人の尺度で言う文化的な生活を維持しようとすると金が必要になる。その快適とされる生活を得る為に人々は学校で学び、卒業と共に工場や事務所に毎日通い時間と労力を売って金を得る。
 都市部への人口集中や長時間労役の結果人々の心が荒み余暇が必要になる。精神的な切迫感を癒すために人々は旅に出たり、人工的遊技で一時を楽しむことになる。その為にも更なる金が必要になる。

 今まで無かった家に電気が供給され、住人はテレビ、洗濯機、冷蔵庫を持ちたくなる。電気が来て便利になることにより、物欲が煽られるのだ。更に周りの人が持ち、自分だけが持てないとその人の渇望、貧困感は増加する。
 現在の世界はこの人々の持つ物欲で社会、経済が成り立っていると言える。近代社会は社会制度も経済制度もその欲望を支える組織と化している。資本主義経済は際限なく人々の権力欲、金銭欲、物欲、食欲、性欲などの欲望を煽り、その欲望を満たすために人々は働き金銭を得ようとする。これを資本主義社会では経済の拡大という。そして国民が得た金銭の上前を税金として徴収することにより国家が成立している。

 土地を担保にマネーゲームの資金貸し出しで利益を得ていた銀行は経済の基本原理を理解せず、更なる自己の利益追求に走る。それが限界に達したとき経済バブルが弾け、現在の日本のように大騒ぎとなる。しかし冷静に考えれば経済も人口も永遠に拡大続けることは不可能だ。歴史的に見ても民族や国家が永遠に続くことや、繁栄することもまた考えられないことだ。

 日本などは70年余りで人口が倍加しており異常な急増であった。人口増加は資本主義経済の拡大には必要条件である。しかし都市部への人口集中、地価高騰、物価上昇、環境破壊、食糧不足などの問題を引き起こす。これらの問題に歴代の政府は対処せず、経済バブルが弾けて、土地や株価が値下がりすることを問題にしているのは、身勝手としか言いようがない。
 結局マネーゲームは最後に誰かがババを引く。そのババを国民全員に負担させようとしているのが現在の日本政府だ。

 選挙などで現在の日本政府に求めることはと聞かれた人が「景気の改善」と答えることが多い。また「デフレの克服と緩やかなインフレ」が政府の目指している方針だ。しかしインフレは通貨の価値を失わせる。国や地方自治体が抱える借金額を考えると改善などあり得ない。問題の先送りで景気が改善する可能性はなく、増税が必要なだけだ。
 銀行や会社が破綻し、経営者である資本家に責任を取らせず、政治家も自分の非を認めず、更に自覚もない。一番悪いのは国民で政治家に責任を取らせていない。日本の根本問題は其処に帰結する。

 現代社会に於いては人が欲する工業製品が安く生産できれば、その会社は人を雇用し国も経済的に豊かになる。持てる者が経済を動かし、物事の価値を決め、更に利益を独り占めに出来る。アメリカなどの大国は自分に都合の良いその尺度を世界隅々にまで適用しようとしている。これがグローバルスタンダードだ。持てる国は更に豊かになり、一次産品しか生産できない国は何時までも乏しいままか、更に乏しくなる。

 1990年代からソビエト連邦の崩壊と共に、社会主義統制経済が資本主義自由経済に破れた形になった。中国のように社会主義の名前はあっても、経済の運営は資本主義に近い選択をしている国も出て来ている。そして経済の自由化と共に、人民の貧富の格差が増している。
 中国ではクリスマスというキリストの生誕を祝う日に無関心な人々がいる反面、最高級ホテルでクリスマスパーティを開き、飲み食いを楽しんでいる人々がいる。最近は最高級ホテルで音楽バンドなどを雇い、大きな結婚式を開く富裕階層も出てきている。
 中国以外の社会主義国でも経済自由化と共に、都会では高級ホテルや高級レストランに西欧製のベンツやジャガーなどの高級車で乗り付け、食事を楽しむ階層の人々が出てきている。そして都会と経済的発展と無関係な農村との所得格差が更に拡大している。

 以前社会主義諸国では乞食はいないという話があった。しかし実際に訪ねてみると中国の上海や広州などの大都会では外国人を主目的にした物乞いがいる。観光客の袖を掴んでひつこく付きまとい幾ばくかの金銭を得ようとしている人々だ。それらは子供だったり、幼児を抱いた大人だったりする。西欧諸国でもロンドンやパリの地下鉄などには旧植民地からの移民らしき人々が多く見られる。

 ここ数年天候不順から北朝鮮では農作物の凶作で、食べることにも窮する人々が多くいることが指摘されている。本来労働者の権利を資本家から守る社会制度が独裁者により都合良く運営されている。住民の移住、移動が保証されず、自由や権利が制約されているのは北朝鮮も中国も同じだ。北朝鮮、ビルマ、イラク等は社会主義制度を取っているが権力者の独裁としては典型的な国家だ。
 帝国主義独裁も社会主義独裁も貧民にとって大した差がない。要は権力志向の強い人々が自己の「地位と名誉と金銭」を得るために選んだ社会及び経済制度に翻弄される。その権力者の回りにはおこぼれを貰おうとする第二の権力志向の人々が割拠する。そして何処の国にも底辺には何も言えない従順で無知で無関心な多くの人々がいる。日本でもその構図は同じだ。

 ヨーロッパ諸国等では社会保障が充実していて、失業していても長期に保証されるため最低限の生活は保証されているようだ。日本のように会社を辞めた途端にホームレスになった話を聞くと、この国の政治の在り方や社会保障の底の浅さが見えてくる。現在の社会体制と経済制度を守るために湯水の如く金は使っても、貧しい国民個人を助けるためには使わない。至極明快だ。

 アジア諸国では土地があり、耕す畑がある農民はまだしも、地方で食られずに都会に出た人々は貧民窟を形成することになる。フィリッピンの首都マニラにあるトンド(スモーキーマウンテン)、インドネシアの首都ジャカルタにあるカンポン等は有名なアジアのスラム街だ。
 若くて綺麗な女性ならば安易に金を得る方法として「春を鬻ぐ」を選ぶことになる。または借金の形に売られることになる。社会主義中国でも春を鬻ぐ女性は何処の町にでも見られる現象だ。男であれば更に安易な方法として「盗み」に走ることになる。東南アジアのような貧困とは無縁な日本においても、小遣いや高級バックが買いたいがために「春を鬻ぐ」少女達が外国のニュースにも登場した。

 ベトナムのホーチミン市で深夜私と一緒に歩いていた日本人女性が、二人乗りオートバイからの引ったくりにあったことがある。幸い大事には至らなかったが、彼女は転倒させられた。若い韓国人女性の話だと一日に3回被害に遭いそうになったことがあると言う。かつて評判の良かった社会主義国の治安は自由化と共に資本主義国との違いがなくなりつつある。

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