貧乏旅行の話

19.ボルネオ島一周の旅

ボルネオ島一周ルート概要

サバ、サラワク州

カリマンタン

ブルネイ

ボルネオ島一周ルート概要

 2004年1月上旬、世界で三番目に大きな島、ボルネオ島(インドネシアではカリマンタン島と呼ぶ)一周の旅行計画を実行した。滞在日数は40日間を予定した。ボルネオ島はおむすびの形をしており、東西約1100km、南北約1200km、面積は75万Km2である(日本の総面積の約2倍に相当する)。人口密度は平方キロメートル当たり20人余りとかなり低い。
 ボルネオ島南部は赤道直下にあり、気候は熱帯雨林気候で4〜9月は乾季、10〜3月は雨期となっているが、一年を通して平均気温は26度前後、月間降雨量も250mm前後で大きな変化はない。雨期でも雨が一日中降り続けることはなく、晴れたりスコールになったりと天気が目まぐるしく変化する。

 ボルネオ島は三ヶ国に属する。マレーシア、インドネシア、ブルネイである。一つの島が三ヶ国に別れているのは、16世紀以降西欧諸国による利権の奪い合い、植民地政策の結果である。19世紀中旬におけるイギリスとオランダの戦争により、現在のマレーシア領はイギリス、インドネシア領はオランダの植民地として統治される。第二次世界大戦後の独立時に今の形に確定する。又、国境は地形的要因も存在する。両国は2000メートル級の山脈により隔てられている。
 ボルネオ島の原住民は一般的にはダヤッ人と呼ばれ、多くの種族に別れる。彼等の多くは主に内陸部に住んでいる。18世紀頃より華僑の移住やジャワ島などの他地域からの移住も見られる。

 一般的な日本人の持つボルネオ島のイメージは、未開の土地、赤道直下の熱帯のジャングルというものだ。しかし現在は石油、天然ガス、鉱物資源の開発が進んでいて、主に海岸沿いにある都市は近代的だ。土地利用も進んでおり、都市周辺では工業地帯となり、都市郊外の幹線道路脇には植林されたゴムの木や椰子の林が見られる。森林が伐採され、道路脇には植林されないままの広大な草地も見られる。
 大規模な森林や大木は内陸に入らないと見ることができない。本来の湿地帯や熱帯のジャングルは内陸部や国立公園内に動植物と共に保護されているのが実体であろう。公園内は木道など遊歩道が設けられ、観光客が散策しやすいように整備されている。
 現在でも国立自然公園などに生えているラミン、ウリンなどの木材が違法伐採され、インドネシアからマレーシアに輸送され、正統化された後に日本や西欧諸国に輸出されている。

 明治時代以降、日本人の足跡も多くの土地で見られる。唐行きさんのような出稼ぎや、鉱物資源の開発、ゴム、椰子栽培などで移住した人々もいる。サンダカンやタラカンにはこれら日本人の墓地も残されている。さらにボルネオ島は第二次世界大戦時の1942年から1945年にかけて、石油などの資源を確保する目的で日本軍の占領下に置かれる。
 当時の戦跡も残されており、サンダカン郊外にあるオーストラリア軍兵士が収容された捕虜収容所跡は、メモリアルパークとして整備されている。

 ボルネオ島にある国々の宗教は主にイスラム教である。その人が属している宗教により服装が大きく違うことだ。イスラム教徒の女性は足首までのスカートやズボンを履き、頭をスカーフでおおっている。厳格に顔を覆っている人も見られる。キリスト教徒や仏教徒はミニスカートやタンクトップの人までおり、比較的に自由な服装をしている。インド系の人々は本国と同様な服装だ。男性は一部の人を除き自由な服装が見られる。

 基本的にイスラム教徒はアルコールの飲酒を禁じられている。イスラム系のレストランでは酒類は一切提供されない。食事と共にビールを飲みたければ中国料理店などに行く必要がある。ビールの値段は大瓶でRM10以上する。スーパーマーケットで売られている酒類も安くはない。缶ビールがRM5以上はしている。又店による価格差も大きい。

 東京よりマレーシアのサバ州コタキナバルへマレーシア航空の直行便が週2便飛んでおりこれを利用する。コタキナバルが一周旅行の基点と決まった。体力に余裕のある旅行初期にキナバル山に登山し、反時計回転で島を廻る計画となった。
 2004年1月時点ではマレーシアとインドネシアの国境"Entikong"は査証が不要であったのもこのコースを取った要因である。(2004年2月よりインドネシア入国には査証が必要となる。空港で取得できる観光ビザは30日間有効で、料金はUS$25である。)

 大きな町はほとんどが海に近い処に位置し、内陸部の町は大きな川に面している。今回の旅では海岸沿いを一周することにする。各都市間の移動は料金の安い乗合バスを主に利用したが、インドネシア領は道路が整備されていない処も多く、飛行機や高速船などを使うことになる。

 何処の町にもマクドナルドやケンタッキーフライドチキン(KFC)などのファーストフード店がある。これらは若い人々で混雑しているが、伝統的な食べ物と比べるとかなり高い。食堂は何処もアルマイトの食器を利用していて、これには貧しさを感じた。
 三ヶ国の国民一人当たりのGDPはマレーシア=米国$8800、インドネシア=$3100、ブルネイ=$18600(2002年統計)となっている。
 人口はマレーシア2310万、インドネシア2億3490万、ブルネイ36万人(2003年推計)である。

1.マレーシア連邦
Kota Kinabalu -(バス)- Mt. Kinabalu -(タクシー)- Kota Kinabalu -(飛行機)- Mulu -(飛行機)- Miri -(バス)- Batu Niah -(バス)- Sibu -(高速船)- Kapit -(高速船)- Sibu -(高速船)- Kuching -(バス、国境通過、Entikong)-

2.インドネシア共和国
Pontianak -(高速船)- Ketapang -(飛行機)- Banjarmasin -(夜行バス)- Samarinda -(バス)- Melak -(モータボート、バス)- Samarinda -(夜行バス)- Berau -(乗合タクシー)- Tanjung Selor -(高速船)- Tarakan - (高速船、国境通過)-

3.マレーシア連邦
Tawau -(バス)- Sandakan -(バス)- Kota Kinabalu -(高速船)- Labuan -(高速船、国境通過)-

4.ブルネイ・ダムサラーム国
Muara -(乗用車)- Bandar Seri Beghwan -(バス)- Muara -(高速船、国境通過)-

5.マレーシア連邦
Labuan -(高速船)- Kota Kinabalu

州立博物館, Kota Kinabalu
Kota Kinabalu
 
南シナ海の島
熱帯雨林
 
キナバル山
Laban Rata Rest House

サバ、サラワク州(マレーシア)

 Kota Kinabalu -(バス)- Mt. Kinabalu -(タクシー)- Kota Kinabalu -(飛行機)- Mulu -(飛行機)- Miri -(バス)- Batu Niah -(バス)- Sibu -(高速船)- Kapit -(高速船)- Sibu -(高速船)- Kuching

 Tawau -(バス)- Sandakan -(バス)- Kota Kinabalu -(高速船)- Labuan -(高速船)- Kota Kinabalu

 ボルネオ島の西側と北側に位置するマレーシア領は北部はサバ州、西はサラワク州に別れる。サバ及びサラワク州には16もの国立公園がある。各国立公園には管理組織として公園本部が設置されている。公園本部は宿泊施設やレストランが整備されている。
 各都市間の道路は舗装されていて比較的に良い。しかし両州は道路で連結されていない。中間にブルネイが位置し自然公園やジャングルがある。この間の移動は飛行機か高速船を利用することになる。

 サバ州のコタキナバルからサラワク州のムルに入るには同じ国内に係わらず入国書類を書かされる。コタキナバルからクアラルンプールへ飛ぶ時も外国と同じく出国カードに印が押される。そういう意味では歴史的要因、特別な位置関係にあるようだ。

 ボルネオ島とスマトラ島にしか生息しないオランウータンは、乱開発により大木が伐採されると共に減少傾向にある。その為保護区が設けられている。
 オランウータン・リハビリテーションセンターはサンダカンの郊外と、クチンの郊外にある。クチンの郊外にあるセメンゴックの生息数は19頭余りと少ない。サンダカン郊外のセピロックは生息数が数百頭と多く、一日2回近くで観察することもできる。しかし観光客が多くオランウータンは人慣れしている。料金も入場料とカメラ代でRM40と高額だ。
 それぞれの施設で与えている食料が違い大変興味深かった。セメンゴックでは果物と共に食パンを与えていた。セピロックではバナナとサトウキビだけである。

旅行事情
 サバ州東側海域の海上及び島嶼部に外務省の危険情報「渡航の是非を検討して下さい」が発令されている。これはシパダン島、パンダナン島における誘拐事件の発生による。(2000年発令)
 治安は比較的に良く大きな問題はみられない。マレーシア国内の観光案内所には地図や資料が揃っており、所員から的確なアドバイスが受けられる。

観光ビザ
 観光、商用目的であれば90日間ビザなし滞在可能。

物価
 隣国タイと比べるとバスなどの交通機関と、ホテルや安宿などの宿泊施設が高く感じられる。底辺に位置する宿が安くなく良くない。大きな町では最低でもRM40〜50位支払わないと綺麗な処に泊まれない。中級ホテルはRM70〜100、最低料金は国立公園のホステル(相部屋)でRM12だった。
 食事は場所にもよるがRM3位から食べられる。高級ホテルのビュフェはRM25位からであった。

インターネット
 インターネットカフェは1時間RM3が一般的である。1時間を超えると料金が上がる店もあるので注意が必要だ。

外貨両替
 トラベラーズチェックの両替には何処の銀行も一回につきRM10の手数料を取る。現在マレーシアリンギットは米国ドルと連動している。両替商などでも両替は可能で、レートに大きな差は見られない。
 米国$1=RM3.765(2004年1月)

時差
 日本時間に対し一時間遅れである。
マレーシアではボルネオ島とマレー半島が同時間となっている。しかし実質的には1時間ほどの差が存在する。ボルネオ島では朝6時頃明るくなるが、マレー半島では朝7時頃になり、朝の活動開始が遅い。


コタキナバル
 サバ州の首都、人口30万人、海と丘陵に挟まれた細長い市街地で、近代的な都市である。町中は見るべき物は少ない。州立モスク、州立博物館、マーケットなどがある。近郊には2個所の国立公園に指定された島がある。

 コタキナバル−テノム間にはボルネオ島唯一の狭軌ゲージの北ボルネオ鉄道が走っている。観光客用に蒸気機関車も走らせているようだ。私は今回"Kota Kinabalu - Beaufort - Tenom"間を通して乗車することにした。料金はRM7.50であった。"Kota Kinabalu - Beaufort"間は道路が並行して走っており、バスの方が早く便利なため乗客は少ない。
 "Beaufort - Tenom"間は渓流沿いに走り、道路はない。距離は短いがこの川でラフティングも行われている。川水の色は茶色で清流とはいかない。車内でキナバル山登山時に出会ったマレーシア人社員グループと一緒になる。

キナバル山国立公園
 2000年に世界遺産に登録された自然公園で、キナバル山は東南アジアの最高峰4095メートルである。登山道並びに宿泊施設は良く整備されていて、天候に恵まれ体力と気力が有れば誰でも登れる。入園料RM15。
 詳細は「キナバル山に登る」をご覧ください。

ムル国立公園
 2000年に世界遺産に登録された自然公園で、ディア、ラング、ウインド、クリアウオータなどの洞窟がある。ディア洞窟では夕刻に洞窟から移動するコウモリの乱舞が見られる。各洞窟へは観光ガイドの案内が必要、料金はRM40。
 到着した日の午後にラング、ディア洞窟を観光し、夕刻にコウモリの乱舞を見る。さらに翌日の午前中にウインド、クリアーウオータ洞窟を観光した。洞窟内の照明時間は限られておりそれに合わせる必要がある。4個所の洞窟観光には最低でも1泊2日は必要。

 クリアウオータ洞窟へはボートで行くのが一般的だが、料金は往復RM85と高い。復路の場合はRM20と安く設定されている。しかし私は往復とも歩くことにした。川沿いのコンクリートで固められた熱帯雨林の中の遊歩道約4kmを歩く。しかし途中のムーンミルク洞窟へ行く400段余りの木製の階段を登る必要がある。この階段は雨に濡れるとかなり滑りやすいので注意が必要だ。私の場合は雨に遭い、頭を鍾乳石にぶつけたり、階段で転んだりと散々だった。

 各都市からムルへ直接通じる道路は無く、周辺の町より飛行機か"Miri"よりボートにて向かう必要がある。ボートは個人でチャータするため料金が高いのと日数がかかる。
 "Kota Kinabalu - Mulu"間はマレーシア航空のフォッカー50が週4便が飛んでいる。料金はRM179。日本の旅行代理店を通して予約が取れなかったため、直接マレーシア航空に電話で予約を入れる。しかし現地で乗った時には3人の乗客しかいなかった。コタキナバル在住の日本人の女性、中国系の青年と私である。"Mulu - Miri"間の料金はRM84。

 ムルには小さな村があるだけで、中心は公園本部と飛行場である。宿泊施設は限られていて、混雑時期に公園本部に泊まるには予約が必要だ。ホステルは18台のベットがある大部屋であった。この部屋をオーストラリア人の青年と2人で占領していた。食堂で売られているミネラル水が高いのが印象的である。ホステル宿泊料金はRM18、入園料はRM5。

ニア国立公園
 ニア、ペインテッド洞窟があり、ニア洞窟はトレーダースとグレート洞窟に分かれる。ペインテッド洞窟には1000年以上前の壁画が残されている。壁画は鮮明でない。両洞窟内に照明はなく(破損している)コウモリの糞で木道は滑りやすい。グレート洞窟内では現地の人がツバメの巣を採取している。洞窟内は暗く照明がないため強力ライトがないと内部は解りづらい。
 グレート洞窟は暗闇の中の階段を登り、さらに降り洞窟を抜けて熱帯雨林内の木道をさらに進むとペインテッド洞窟がある。

 公園本部前より川をボートで渡ると小さな博物館がある。さらに洞窟までは4km余りの木道が延々と続く。洞窟へ行く途中に木道が分岐する。左の道を取るとイバン族の村があり、木製のロングハウスを見ることが出来る。
 私はバトニアから公園本部、さらに洞窟までを通して歩くことにした。その日は午後だけで往復16km余りを歩くことになった。入園料RM10。

クチン
 サラワク州の州都、人口12万人、クチンとは現地語で猫のこと、博物館はほとんどが無料である。キャット、イスラム、サラワク、中国歴史博物館やラン植物園などがある。
 郊外にセメンゴックのオランウータン施設がある。オランウータンは19頭生息し、餌の供給は9時と15時の2回行われている。施設内には展示室、ラン植物園、熱帯雨林散策路などがあり、ワニ、猿などが飼育されている。入園料RM3。
 クチン市はマレー人の次に中国系の住民が多く、町中には中国寺院が多く見られる。

バコ国立公園
 クチン市の北部にある自然公園。道路は通じていないため近くのバコ村よりモーターボートにて公園本部まで行く。海が荒れていたり、潮の状態でボートが舟着き場に接岸できない場合には海岸を歩くことになる。宿泊施設は公園本部のみで、海岸沿いにロッジが建ち並ぶ。公園本部付近には猿や髭豚が生息している。公園本部を中心にハイキングコースがある。
 ここにいる猿は日光中禅寺湖畔にいる猿と同様かなり人慣れしている。又、滞在者の隙を見ては食料を奪いに来る。近くで何かを食べていると欲しがり、あげないと怒るのでかなり危険だ。

 公園に入る前にボート乗り場前で自然保護に対する誓約書にサインが必要である。ホステル宿泊料RM17.50、ボート料金RM40、入園料RM10。

サンダカン
 インドネシアのタラカンより高速船でタワウに入り、一泊した後バスにてサンダカンに向かう。サンダカンはかつてはボルネオ島の中心的な都市であったが、現在はコタキナバルが州都となる。旧市街の前面は海で後方は山が迫る。市内に観光施設は少なく、郊外にセピロックのオランウータン施設と、サンダカン八番娼館の女主人が購入したという日本人墓地などがある。沖合には亀の産卵を夜間観察できる"Turtle Islands"国立公園がある。

ラブアン
 ブルネイの北部に位置するマレーシアの自由港、町中にはショッピングセンターやスーパーマーケットなどが数軒ある。小物雑貨、衣類、酒類、菓子、チョコレートなどが安く売られている。ここには日本酒や、養命酒、梅酒まである。土曜、日曜日はマレーシア人やブルネイ人の買物客でかなり混雑していた。ここでは世界通貨が自由に両替できる。

 港近くには生バンドが演奏するナイトクラブがある。ここでもアルコール類はかなり安く飲める。ビール小ジョッキはRM3、しかしレディースドリンクはRM14と安くはない。ここにいる女性達はフィリッピン、インドネシアからの出稼ぎ組だ。ここはシンガポールにおけるインドネシアのバタム島との関係に近いようだ。しかし大きなホテルが営業を停止している処も見られる。以前と比べ観光客が減っているようだ。夕刻になると店が閉められ人通りも激減した。

コウモリ観測所、Mulu
Wind Cave, Mulu
 
コウモリ、Mulu
Clear water Cave, Mulu
 
木道、Niah
イバン族の村、Niah
 
Great Cave, Niah
Great Cave, Niah
 
獅子舞、Kapit
Kuching
 
Bako国立公園
髭豚、Bako国立公園
 
市街地、Sandakan
Sepilok Orang-utan Rehabilitation Centre

カリマンタン(インドネシア)

 Pontianak -(高速船)- Ketapang -(飛行機)- Banjarmasin -(夜行バス)- Samarinda -(バス)- Melak -(モータボート、バス)- Samarinda -(夜行バス)- Berau -(乗合タクシー)- Tanjung Selor -(高速船)- Tarakan

 ボルネオ島の約70パーセントを占めるインドネシア領は西、中央、南、東カリマンタン州に別れる。道路事情は一部を除き悪い。未舗装道路もあり雨期にはぬかるみ、車が立ち往生してかなり苦労する。
 商業目的や個人的理由で旅行する人々は見られるが、外国人旅行者はかなり少ない。町の歴史も浅く、観光施設が少ないのがその理由と思われる。カリマンタンの観光案内所はほとんど機能していない。交通機関に対する細かな情報を持っていなく、英語を話すスタッフも少ない。旅行代理店の方が情報を持っていると助言される始末だ。

 インドネシアには38個所の国立公園がある。その内中央カリマンタンにタンジュン・プティン、東カリマンタンにクタイ、西カリマンタンにグヌン・ポルン国立公園などがある。
 外国人観光客が少ないため定期的に実施されるツアーも少なく、その為ツアーを利用して郊外にある観光施設を訪ねることもできずに終わる。目的地に行くには総て自分で交通機関、宿泊施設などを手配するか、ガイドを雇う必要がある。
 サマリンダの観光局でマハカム川周辺の個人ツアーの予算を確認したところ、3泊4日で概算300米ドル余りが必要との見積もりであった。この料金では貧乏旅行者向きではない。

 インドネシアを旅行していると現地の人々から話しかけられることが多い。最初に国名を聞かず、自分が予想する国名を言うのが特徴だ。私は韓国人かと何度も聞かれた。それだけ韓国人関係者が多いようだ。

 大都市以外の飛行場は何処も小規模で、各航空会社が20〜50人乗りのプロペラ機を飛ばしている。飛行場には荷物検査用の金属探知器などは設置されていない。航空会社の事務所や飛行場でも英語は通じにくい。飛行機はあくまでも地元の人々の移動手段であり、外国人旅行者にまで対応できていない。さすがにスチュワーデスは英語を話していた。

 多くの土地で蚊に悩まされた。ベットに蚊帳は設置されていない。その為マラリアやデング熱の心配をすることになった。インドネシアの安宿はシャワーではなくマンディが一般的である。これは貯め置きした水を洗面、水浴び、トイレの洗浄水として利用する方法だ。この水槽にボウフラが湧いている。洋式便座、温水シャワーは中級以上の宿泊施設でないと付属していない。
 不思議にもインドネシアのホテルには筒状の抱き枕(ダッチワイフ)が置いてある。これはオランダ文化の影響かも知れない。

 「わざわざカリマンタンまで苦労して行く必要はない」が旅行を終わっての感想だ。ボルネオ島の自然を体験するなら、マレーシア側にある整備された自然公園で十分である。マレーシア側にも原住民の部落を訪ねるツアーなどが実施されている。
 結局は思うように行動できず、資料不足もあり滞在日数を短くしてマレーシアに抜けることにした。最初の計画になかったブルネイを訪問し、滞在日数は35日間となった。

旅行事情
 カリマンタン全域に外務省の危険情報「十分注意して下さい」が発令されている。インドネシアでは英語が通じにくいが第一印象である。マレーシア人にも「現地語(マレー語)が話せないと、英語が通じず苦労する」と言われたが事実であった。観光案内所でさえも英語を話す人は限られる。観光案内所が交通機関などの詳しい情報を持っていないのも不思議であった。

観光ビザ
 2004年2月よりインドネシア入国には査証が必要となる。空港で取得できる観光ビザは二種類ある。料金は30日間有効でUS$25、7日間有効でUS$10である。

物価
 周辺諸国と比べ高いというのが第一印象だ。国民一人当たりの国内総生産は$3100余りでマレーシアの1/3に過ぎない。しかし交通機関、宿泊施設などはマレーシアと比べて同等かやや高い。食事代もマレーシアと同等である。大きな町の中級施設でRP6万〜9万、ホテルはRP10万以上する。安い部屋は温水シャワーや冷房施設がない。平均所得から考えると所得格差が大きく、底辺の人々は苦しい生活を強いられていると感じた。

インターネット
 電話会社などが運営しているところが多い。料金は1時間RP1万前後.

外貨両替
 銀行での両替で手数料は取られない。表示レートで両替してくれるが、銀行による交換レートの違いが大きい。また両替できる銀行も限られる。トラベラーズチェックも発行会社の制約があるようだ。
 マレーシアとの国境には闇両替商が沢山いた。米国$1=RP7500前後でレートはかなり悪い。
米国$1=RP8320(2004年1月)

時差
 日本時間に対し西、中央カリマンタンは2時間遅れ、東、南カリマンタンは1時間遅れである。


ポンティアナック
 サラワク州のクチン市よりポンティアナックへ国際バスにて向かう。乗客はインドネシア人が多く、旧正月の休暇を利用した人々だ。国境を過ぎると道は細く悪くなった。道沿いに小さな村が点在する。
 ポンティアナックは赤道直下の町、西カリマンタン州の州都、人口47万人、カプアス川流域にある。観光施設としては博物館、モスク、王宮、赤道のモニュメントなどがある。

 博物館と観光案内所へ行く途中にバイクに乗った大学生と知り合う。彼のバイクに乗り博物館、そして大学構内へ行く。州立大学構内はかなり広く若者で溢れていた。やはり彼等の交通機関はバイクである。この青年は農業を選考しており、訪ねた施設には苗の育苗や試験室などがあった。
 その後王宮、旧モスク、赤道モニュメントを彼のバイクに乗り廻る。最後に旅行代理店に行き旅行情報を手に入れる。道路地図を捜すが本屋には細かく記載された物はなかった。

ケタパン
 この町にこれと言ってみる物はない。町中を散策した後インターネットカフェに行きメールを送ることにする。旅行代理店などで聞いた結果ケタパンより先へ進むには飛行機しかないことが解る。この飛行機も毎日飛んでいるわけではない。月曜日、朝9時20分出発の"Trigana Air"の航空券を購入する。料金はRP596000。この飛行機は50人乗りで、二人のスチュワーデスが乗っていた。
 飛行機は朝"Pontianak"を出発し"Ketapang - Pangkalanbun - Surabaya - Pangkalanbun - Sampit - Palangkaraya - Banjarmasin"と飛行する。"Pontianak"から"Banjarmasin"へ向かう人々は途中の町"Pangkalanbun"でジャワ島へ向かった飛行機が戻ってくるまで、6時間余りを待つことになる。これらの乗客専用の待合室がありここで待つ。

バンジャルマシン
 南カリマンタン州の州都、人口54万人、カリマンタンでは一番人口密度が高い。飛行場から町までは26kmでかなり遠い。飛行機で知り合った人とタクシーに乗りホテルへ向かう。料金は割り勘のつもりでいたが、彼は受け取らなかった。有り難く厚意を受けることにした。
 水上マーケット、運河、中州にある自然公園などが見所である。

サマリンダ
 東カリマンタン州の州都、人口53万人、マハカム川沿岸の町、
 バンジャルマシンより16時発の夜行バスにてサマリンダに向かう。出発時は10人余りと少なかったが、途中で客を乗せほぼ満員となった。翌日の朝6時にバスはフェリーに乗り込み、7時前にバリクパパンに到着する。港近くのバスターミナルで半分ほどの客が下車する。サマリンダに到着したのは10時頃となった。バスターミナル前から小舟に乗りマハカム川を横断し市街地に入る。
 隣に掛けた男はバリクパパンで石油関係の仕事をしていると話した。家族ははバンジャルマシンに住んでおり単身赴任をしている。

ムラック
 サマリンダより325kmマハカム川上流の町ムラックへバスにて向かう。しかし途中から道路は未舗装の砂利道となり、さらに進むと連日の雨で赤土の道はぬかっていた。坂を登れなくなったトラックや車が谷に並んだ止まっている。バスは坂の上で停まり対向車や前を行く車の動向を観察する。対向車が来なく前の車が坂を登り終えたら前に進むのだ。
 しかし遂に坂の途中でバスは止まることになる。2時間余り小雨の中ロープで引くなどするがびくともしない。時間は6時近くになっていた。近くに村があることが解りそこで泊まることにする。一人の男と共に歩き出す。途中ランドクルーザに拾われ村の入口で降りる。
 村の雑貨屋に泊まることにした。しばらくすると男がインドネシア語−日本語の古い辞書を持ってきた。最初のページは破れて無くなっていたが、日本語を習っていた人がこの村にもいたのだ。近所の若者が集まって来て片言の会話をする。

タラカン
 サマリンダ−タラカン間は航空機かバスと高速船の乗り継ぎである。航空料金はRP446500(DAS)、陸路は合計でRP171000であった。しかし中型バスは夜間未舗装道路を走る。砂利道の振動と混雑で満足な睡眠は取れない。このバスは椅子の間隔も狭く、車内には予備タイヤが転がっている。運転手は二人乗車していた。バス会社の選択はかなり大きい。航空機はバリクパパンからが便数も多く料金も安い。

 日本軍のインドネシア侵攻は1942年1月タラカン島奇襲上陸から始まる。第二次世界大戦末期に日本軍とオーストラリア軍が戦ったところである。日本軍の利用した要塞跡、オーストラリア軍の墓地跡などがある。

王宮、Pontiank
モスク、Pontiank
 
赤道モニュメント、Pontiank
Ketapang
 
モスク、Banjarmasin
Banjarmasin
 
マーケットとモスク、Samarinda
Pampang, Samarinda
 
モスク、Tarakan
日本人墓地、Tarakan

ブルネイ

 Muara -(乗用車)- Bandar Seri Beghwan -(バス)- Muara

 マレーシアのサバ州とサラワク州に挟まれたイスラム王国。石油で潤う金持ち国。人口は36万人、一人当たりのGDPは米国$18600である。
 1984年マレーシア連邦より独立。首都バンダル・スリ・ブガワンは小さな地方都市という感じだ。町の真ん中に競技場があり、モスクや博物館が取り巻くように立つ。町の南側にはバスターミナルと繁華街がある。

 サバ州のコタキナバルより行く方法は飛行機か、ラブアン経由の高速船となる。料金的には船を利用した方が安い。早朝出発便は直通キップ(RM48)も売られている。サラワク州のミリより行く方法は飛行機か、バスの利用となる。
 ブルネイの港ムアラはマレーシアの自由港ラブアン島の南に位置し、高速船で約1時間余りである。

 入国時検疫所では一人づつ体温測定を実施していた。鳥インフルエンザ、SARSの関連と思われるが、昨年より継続して行われているようだ。ブルネイではアルコール類は売られていない。また、アルコール類の持ち込みは制限がある。 

 朝8時半発の高速船にてラブアンよりブルネイに向かう。月曜日の朝でキップ売り場は混雑していた。週末はマレーシアの家に滞在し、平日はブルネイで働く人々のようだ。私の隣に掛けたミニスカートを履いた若い女性も同様であった。ムアラ港にはボーイフレンドが迎えに来ていた。彼の車に便乗し高速道路を走り首都へ向かい、町中のモスク前で降ろしてもらう。

 モスクを観光した後、観光案内所を訪ね資料と情報を手に入れる。王立博物館を見学した後バスターミナルより高速バスにて港へ戻ることにした。

物価
 周囲の国と比べかなり高い。航空券などはマレーシアで往復を購入した方が安い。ラブアンからのボートはRM24、ブルネイからはB$15である。

観光ビザ
 観光目的であれば14日間ビザなし滞在可能。

外貨両替
 ブルネイドルはシンガポールドルと連動している。
B$1=RM2.2(2004年1月)

時差
 日本時間に対し一時間遅れである。

Central Police Station
Omar Ali Saifuddien Mosque

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